Cielo Estrellado Report
国鉄南武線 川崎新町短絡線
最初は憶測だけで「怪しい」と思っていたものは、実は廃線だった。
2007年3月30日 調査
まえがき
私は、この廃線を八丁畷駅での撮影の際に偶然発見した。
いや、正確に言えば、その時は予定線「川崎アプローチ線」の予定地だと、半信半疑で思っていた。
川崎アプローチ線は、川崎から浜川崎駅を短絡し結ぶ事を計画されている予定線である。
しかし川崎市内での新線建設の遅れから、この路線が着工されるのはかなり先の見通しとなっている。
予定地にしては不自然である…鉄道建造物を見てそんな憶測もあったが、私はかつて此処を走った路線があるなど聞いた事は無かった。
しかし、とあるサイトの紹介で、これが廃線である事を知った。
「この遺構の写真、私が撮ったのと同じだ…」
なんと、驚く事に廃線と川崎アプローチ線の予定地がほぼ一致しているのであった。
今回紹介する廃線は、国鉄南武線(現:JR南武線)の支線としてかつて存在した廃線である。
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まずは祖母の家(川崎新町〜浜川崎間にある)からスタート。 まずは八丁畷に向けて、祖母の家に備えられている遠征用折りたたみ自転車をこぐ。 この辺りは南部支線沿いの側道を走っていけば、多少分かりづらい道だが進めるだろう。 ―といいつつ早速行き止まり。 たまにはこういう事もある― 川崎市川崎区にて |
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コホン! 気を取り直して再スタート (^^A;;;) 上手い事抜け道を抜けると(ここらは旅の経験と川崎区ウォーカーの土地勘です(笑))、国道15号(第一京浜)にぶつかる。 第一京浜の上空を、南部支線と貨物線の高架が横切っていく。その高架の傍に見えたのが、この写真の遺構である。 あなたは、これを見て怪しいと思わないだろうか? 川崎市川崎区にて |
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この遺構の傍を見たところ、左の写真の「工」の標柱があった。間違い無く鉄道用地である。 川崎市川崎区にて |
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もう1枚、別のアングルから同じ遺構を撮影。 奥に見える架線は、南部支線と東海道貨物線のものである。 写真右側が八丁畷方向だ。 川崎市川崎区にて |
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しばらく進むと、八丁畷駅の周辺に至る。 この遺構から線路の方向を推測し至った先には駐輪場があった。 この駐輪場、いかにも構造が怪しい。周りには家が建っているが、何故か此処だけは駐輪場、しかもやたらに縦長なのである。 廃線跡の用地を転用したであろうことは、想像に難くない。 写真奥は、先程とは逆を向き川崎新町方向だ。 川崎市川崎区にて |
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八丁畷方向に向き直るとこんな感じである。 奥に僅かに見えるレンガ造りのもの(この後すぐ解説)も、廃線遺構である。 川崎市川崎区にて |
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上の写真から更に八丁畷方向に向かうと、京急線と合流する(写真左に僅かに見える線路が京急線。写真の左方向に更に行くと八丁畷駅)。 正確には、廃線は此処を橋により跨いでいた。 写真右にツタに覆われて隠れているレンガ造りのものが、前述したとおり橋台の遺構である。 川崎市川崎区にて |
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更に接近すると、遺構の全貌が明らかになる。 川崎市川崎区にて |
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このまま横切るわけには行かないので、付近の踏切を渡り廃線経路と思われる付近を歩く。 と、ここでも遺構を発見。 場所は八丁畷を越え、南部支線で言えば尻手方向にある。 川崎市川崎区にて |
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工事用のフェンスが邪魔なので、少し引いてみる。 と、これでこの遺構の全体図が見えてくる。 川崎市川崎区にて |
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別の方向に回り込み、上の写真と同じ遺構を撮影する。向きは逆を向き八丁畷方向。 私がこの写真を撮影した場所、またはこの写真の右に写っている住宅群の場所が、廃線後だと推測される。 遺構の向きからすると、住宅が建っている場所が有力か。 川崎市川崎区にて |
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八丁畷を中間点とし、廃線の起点である川崎方面では、上の写真以降廃線の遺構は見つからなかった。線路が走っていた痕跡も見つけられなかったが、推測で言えば今の「川崎市営日進町住宅」の辺りを通っていたのではないか。 川崎市川崎区にて |
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今度は、廃線の終点である川崎新町駅方向に向かって歩いてみる。 写真は先程の第一京浜との合流点。八丁畷方向(北西)を向いている。写真奥に見えるのが一番最初に紹介した遺構である。 川崎市川崎区にて |
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川崎新町方面では、遺構らしき遺構は見当たらなかった。ただ、これは跡地ではないかと思われる節は何点かあった。いずれにしろあまりに写真が少ないので、改めて調査する必要があると考えている。 例えばこの写真(八丁畷〜川崎新町間)。 奥が現行線の南部支線と東海道貨物支線だが、この手前の不自然な空き地はなんだろうか。 このような空き地が、八丁畷方向にも川崎新町方向にも連続しているのである。 空き地の隣(写真で言うと左)には細い道があるのだが、わざわざ此処を空き地にするなら道を拡張できたと推測される。しかし拡張がされていないということは、恐らく道・区画が成立した後にこの路線が廃線となり、空き地になったと推測される。 実際、この路線が廃線になったのは1973年だ。 川崎市川崎区にて |
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上の写真の駐車場だが、柵(段差)に枕木が使用されている。短絡線の廃線時に余剰になった枕木を転用したと見て間違いないだろう。 川崎市川崎区にて |
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正直あまり手がかりも無く、手がかりといえば川崎新町まで続く不自然な空間だけで、結局川崎新町に到着。 だが、ここでも思わぬ発見があった。 車両進入をふせぐため3本のレールが立てられている、そのすぐ右の写真真ん中、不自然な空間に見えないだろうか。 川崎市川崎区にて |
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少々見づらいが、左右にコンクリート塀がある。 恐らくこの塀の真ん中が廃線跡であると思われる。現在は、とある方のご好意で菜園のようになっている。 川崎市川崎区にて |
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菜園に埋もれこちらも見づらいが、これが放置された簡易車止めと思われる。 車止めに乗っているオレンジの物体は、完熟したニガウリ。 川崎市川崎区にて |
いつもよりかなり真面目なおまけ
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前述したとおり、川崎新町駅舎の傍には菜園がある。といっても空きスペースを利用されている簡易な菜園だが。 この菜園は、とある方のご好意によって成り立っている。私は川崎新町に到着し、例の車止め遺構を確認した際、この人と会話した。 何でも此処では様々なものが栽培されているようで、ニガウリ(ゴーヤ)やザクロ、トマトのような食用植物のほか、ヒマワリも植えてあった。 この菜園が出来たきっかけは、ここにゴミを投げ入れる心なきものが居たからだそうだ。 「植物が植わっていれば、きっとゴミも捨てないはず」―人間の心理をついた計画が、この菜園を生み出した。 川崎市川崎区にて |
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多くの人が、ここに立ち寄ると菜園をみて和むそうだ。菜園の管理人さんは、それが何より嬉しくてやりがいがあると仰っていた。 しかし、それでもいまだ此処にゴミを投げ入れる人がいるそうだ。 「わざわざ(線路と道路を隔てるフェンスを指差し)そこに(空いたペンキや大ビールの缶で作られた)ゴミ箱があるのに、何故かこっちに捨てるんだ」と嘆いていた。 私はそれを聞いて、少し残念な気分になった。 川崎市川崎区にて |
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菜園のトマト。 片方はいい感じだ。 別れ際に、菜園の管理人さんは私にこういった。 「あんたみたいな若いのが、こんなに真面目に話を聞いてくれて嬉しいよ。頑張ってくれ。」 そして、その方はポケットからのど飴を取り出し、それを私にくれた。 私はその人と分かれ、帰宅の途に付く。 帰りにそののど飴を取り出し、頂いた。 『あんたみたいな若いのが、こんなに真面目に話を聞いてくれて嬉しいよ。頑張ってくれ。』―その言葉が頭の中を駆け巡って、何故か涙がこぼれそうになった。 川崎市川崎区にて |
あとがき
一発目からやられました。
八丁畷に撮影しに行った際、たまたま発見したこの遺構。
八丁畷は有名な撮影ポイントですが、自分は自転車で行った事が無く、この遺構は現地に行くまで全く存じませんでした。
最初は、放置された予定線の用地かと思っていましたが、そんなはずも無く…
兎に角、今回はたまたまの運の良い発見でしたので、何の情報も持ち合わせておりませんでした。
インターネットで情報を検索したところ、矢張り廃線跡は「日進町住宅」を通っていたようです。遺構もそちらの方に幾つかあるそうです。
いずれにせよ、再調査をするつもりです。次回をご期待ください。
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