Cielo Estrellado's Reports
横濱鐵道(現:JR横浜線) 海神奈川支線
わずかな痕跡のみを残す、臨港の貨物線
2007年3月30日 調査
注意:臨港貨物支線は、すでに全廃されています。


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まえがき
この路線を知ったのは、2007年6月21日の事。
たまたま、「海神奈川」という面白い名前の駅を見つけたのがきっかけだった。
その海神奈川駅は、「海神奈川支線」という現在の横浜線の支線の終着駅だったそうだ。
「浜川崎」、「浜安善」、「海芝浦」などと、海にちなむ駅名はよく聞いてきていた。
しかし、「海」に「神奈川」とは全く想像もしていなかった物で、しかもノーマークだった「東神奈川からの分岐」ということで、とても気になって調べていると…


まずは、横浜鉄道について解説させていただく。

横浜鉄道とは前述の通り現在の横浜線で、1910年4月1日に鉄道院によって借り上げされ、八浜線と改称する。
そして、この臨港貨物支線、通称「海神奈川支線」が誕生したのは1911年12月10日の事であった。
横浜鉄道の貨物支線として作られた事から、当初の名称は「横浜鉄道臨港貨物支線」という名前だったが、鉄道院の即日借り上げで「八浜線貨物線」と名を変える。
1917年10月1日に国有化され、八浜線が横浜線となるのと同時に「横浜線海神奈川支線」となるも、
1930年4月1日に東海道本線貨物支線へと転属し、「東海道本線海神奈川貨物支線」という扱いになった。
その頃の東海道貨物支線の横浜区間には沢山の支線があり、華やかな区間の一つであった。

実はこの海神奈川支線、面白い特徴を持っていた。
かつてこの支線内には「海神奈川信号扱所」という場所があり、そこで現在の高島線と平面交差、いわゆる「ダイヤモンドクロッシング」していたというのだ。

その後1934年に東神奈川方向へ移転。海神奈川信号扱所は「千若(せんわか)信号場」と名を変え、高島線の信号所として残った。
一方の海神奈川駅は、1945年5月29日の横浜大空襲により倉庫と専用線を消失する。
横浜大空襲の5つの標的のひとつであった東神奈川駅から程近かった海神奈川駅もほぼ壊滅状態だったようで、戦後も暫く放棄されていた。
そして用を成さなくなった海神奈川駅は、1959年4月1日に廃止される。


と、以上のような歴史を持っている海神奈川支線。
その調査の為、私は東神奈川に降り立った。

東神奈川の跨線橋周辺から構内を見回すと、早速怪しそうな空間を発見。写真中央の保線車両が止まっている線路だ。
あれが海神奈川支線の線路が途切れたものだと仮定した場合、海神奈川駅跡地の方向に描くカーブとしては不自然でない。

私は少しでもそこに近づく為に、駅を後にする。

東神奈川駅にて

東神奈川駅南口を降り、東側へ少し歩く。
先ほどの線路を見つけるべく歩くと、JRの用地となり立ち入る事が出来なくなってしまい、断念。

どこか途中から痕跡を見つけられないかと頭で地図を組み立てた結果、行き当たったのがこの場所だった。京急仲木戸のガード下である。

東神奈川駅にあった地図を見ても、決して不自然な繋がり方ではない。寧ろこのガードの狭さこそ、過去に単線が走っていたと思わせるに不自然でないものである。

京急仲木戸ガード下(横浜市神奈川区 東神奈川1丁目)にて

左の写真が、東神奈川駅にあった地図である。
Jpeg画像の為少々劣化しているがご容赦願いたい。

「仲木戸公園」という文字のところの赤枠が、仲木戸ガードを表すものである。そのすぐ右の枠が、この次の写真で解説する不自然な空間である。

因みに既にお分かりかもしれないが、緑の線はかつて海神奈川支線が走っていたと思われる推測地点である。
見事に不自然な空間とマッチする。

東神奈川駅 連絡通路付近にて

これが、上の地図で少し触れた不自然な空間だ。
この用地をはさんで両側には道があるのだが、ここだけは何故か使用されているわけでもなくフェンスで包囲されている。

写真奥に見えるのが先程の仲木戸ガードである。

横浜市神奈川区 東神奈川1丁目にて

これからは、憶測で決定した海神奈川支線に沿って進む事にする。

進んでいくと、やがて国道15号との交点である東神奈川2丁目の信号にぶつかる。
私はこの写真のアングルから直進する。

横浜市神奈川区 神奈川2丁目にて

上の写真から直進すると、この写真の地点に辿り着く。ここは、「村雨橋」という名の橋の上だ。

以前新興線を調査した際に、この橋を訪れた事がある。私はこの橋の名前が気に入り、何枚か写真を撮ったことがある。
この近辺には「竜宮橋」という名前の橋もある。

もう少し、写真右奥へと進んでみよう。

横浜市神奈川区 神奈川2丁目にて

村雨橋から少し南下したこの地点が、2代目海神奈川駅舎跡近辺だ。
厳密に言うと、駅の跡地は写真の観光バスの奥に隠れている「神奈川水再生センター」の場所にあった。

横浜市神奈川区 千若町1丁目にて

2代目海神奈川駅から南下し、千若町2丁目に入る。写真は、東神奈川駅方向を向いている。

この地点は、旧千若信号所(現:東高島駅構内)構内の踏切で、写真の線路は高島線である。
そう、こここそが冒頭で解説した「高島線と海神奈川支線とのダイヤモンドクロッシング地点」跡である。
海神奈川支線亡き今は、高島線がここを通るのみである。

ダイヤモンドクロッシングの完全な痕跡を見つけることは出来なかったものの、もしやという痕跡を見つけることは出来た。

横浜市神奈川区 千若町2丁目にて

これは何かというと、ウィンチである。私はこれとほぼ同種のものを、数ヵ月後の石油支線第二次調査の際に発見する。

それをふと思い出し、執筆中に気付いた。
恐らく、これはクロッシングの痕跡だろう。
ウィンチの役目は、ワイヤを巻き取るというものだ。恐らくウィンチには紐が巻かれており、自動踏切ができる以前に高島線を列車が通過する際は、ここでワイヤを使って封鎖をしていたと思われる。

しかし、海神奈川支線が廃止された後、自動踏切ができるまでにこのウィンチが使用されただけかもしれないので、確証は得られない。もっと資料があれば…

千鳥町踏切(横浜市神奈川区 千若町2丁目)にて

写真は進行方向側に向き直り南を向いている。
この辺りが移転する前の初代海神奈川駅だったと思われる。

「海神奈川」という名前は、駅の設置位置が海に程近かった事に由来する。
今ではここは埋め立てにより埠頭になっているが、昔は海のすぐ傍にあったという。

写真左側は建物で隠されているが、建物の奥にはJR瑞穂線の廃線跡がある。

横浜市神奈川区 千若町2丁目にて


おまけ。
東神奈川から東高島駅へと伸びていた専用線を紹介。
東神奈川つながりということで…

東神奈川から東高島に延びていた専用線の跡地。
かなり綺麗に残っている為、多くの鉄道ファンが訪れると耳にした。実際、かなり良好な保存状態だ。

線路はゴルフ場(緑のネットが目印)に沿って伸びていたと思われる。

横浜市神奈川区 星野町・千若町間にて

上の写真の橋の東高島寄りから橋の内部を臨む。
フェンスがされているため進入は当然ながら不可能だが、中を臨む事は出来た。
残念ながらこの写真は、手前の格子にピントが合ってしまっている。

横浜市神奈川区 星野町にて

上の写真と反対の方向を向く。写っているのは東高島駅構内である。
恐らく、専用線はこの工場がある場所へ引き込まれ、東高島駅の分岐点へと繋がっていたのだろう。

横浜市神奈川区 星野町にて

あとがき
今回の調査は、なかなか頭を使う調査でした。
まあ、廃線跡探しというのは、資料と自分の推測とを照らし合わせながら行うので、本来このように頭を使うものなのですがね…

戦災により廃止された路線・駅ということで、複雑な心境でした。個人的には、もう少しダイヤモンドクロッシングについて、決定的な痕跡・資料を見つけられれば嬉しかったです。
ただ、おまけ写真の橋の遺構にはかなり興奮しました。この石造りの橋から造形美を感じることができたので、良しとします♪

Last update - 7/21 2008

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