Report
ここには、私が過去に行った「専用線」・「廃線跡」の調査を載せてあります。
ぜひご覧になってください。
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神奈川県東の臨海部に展開する、「神奈川臨海鉄道」。今回調査した浮島線は、そんな神奈川臨海鉄道の路線のひとつである。 普通の貨物線とは一味違う「埠頭の貨物線」を、ご賞味あれ。 |
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今回は、例の神奈川臨海鉄道が所有する別の路線、「千鳥線」をご紹介する。 千鳥線は、浮島線が走る埋立地「浮島町」の隣、「千鳥町」を走る。 甲種輸送などでも使われる事があるこの千鳥線、覗いてみてください。 |
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千鳥線から定期運用が消える― いつもと変わらぬ千鳥町― |
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「石油支線」―非常に珍しい名称のこの支線は、かつて鶴見線の支線であった。 かつて私は、安善駅のそばの踏切から、よく分からない線路を見た事があった。 よく分からない線路を訪ねたい―その気持ちが、調査へと結びついた。 |
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数多くの支線と専用線を誇った鶴見線。 といってもまだ本調査ではなく、とある調査の移動の際に少し訪ねた程度だ。 |
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彼の異名は、「書類上だけの路線」。 複雑な歴史をはらむ、臨海の貨物線の廃構の一部を、とくとご堪能あれ。 |
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今もなおタバコだけでなく、様々な分野で先頭集団を走る企業、JT。 この専用線は、小田急線に接続していた数少ない専用線のひとつである。 現在も残るロマンティックな遺構をお楽しみあれ。 |
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JRの路線のひとつ、「横浜線」。 横浜線が国有化される以前の、「横濱鐵道」。 |
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貨物列車撮影のため出かけた、川崎の八丁畷駅で、思わぬ遺構に遭遇する。 調査の結果、それはかつて川崎と川崎新町を結んでいた専用線だった。 多くの遺構が残る専用線のレポート。 |
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海老名・湘南台と横浜を結ぶ私鉄、相模鉄道。 この航空隊線は、相模大塚駅の西側で分岐し、米軍の厚木基地にいたるという専用線である。 現在、この専用線は廃線となっているが、かなり良好な状態で現存している。 |
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2008年3月15日、初めて手にした「貨物時刻表」。そこには、無くなったはずの千鳥線の定期輸送ダイヤが復活していた。 私は今度こそ国道を横切る列車を撮影したい、という一心で、4度目の千鳥町探訪と相成った。 |
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前回の新興線探訪から1年半経った。 その真偽の確認を果たすべく、そして前回の未調査区間を含めた全線の調査を行うべく、私は再び新興線の駆け抜けた地に降り立つ。 新興線は、思わぬ変化を遂げていた。 |
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横浜臨港線+山下臨港線 前編/後編 2009年6月2日、横浜港が開港150周年を迎えた。 今回取り扱う廃線はふたつ。片やまもなく敷設から一世紀を迎える「横浜臨港線」、片や今ではみなとみらいの名所、山下公園の上を駆け抜けていた「山下臨港線」。 |
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奥羽本線旧線 矢立峠区間(陣場〜津軽湯の沢) (執筆中) 2009年8月8日。私は人生初の遠征の旅路にて、青森県は津軽湯の沢駅に降り立っていた。 実は、かつてこの津軽湯の沢駅から、県境を越えた南隣の駅陣場駅まで、旧線が延びていたのである。 矢立峠には、峠というだけあり多数の隧道がいまだ口をあけて鮮烈に残されていると聞く。 |
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室蘭本線旧線 (栗丘〜栗山間) (執筆中) 遠征の2日目、私は北海道の岩見沢に程近い栗丘駅に立っていた。 この旧線は、かつては複線の上下線の片側として機能していた線路であった。 崩落現場――その現場となったトンネルは、北の大地では名の知れた、美しい透き通った聖玻璃の明かりの差し込むトンネルだった。 |
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国鉄手宮線 (執筆中) 北海道で初めて敷設された鉄道、それが手宮線である。だが廃線となったこの路線が、まさかそんなにも華々しい歴史を持っていると知る人は多くはないだろう。 1880年の開業から1985年の廃止まで、1世紀弱もの間働き続けた手宮線。だが、特筆すべきは「北海道初の鉄道」という栄誉と1世紀に亘る歴史だけではない。 なんとこの手宮線は、廃止時点の面影をほぼ完全に残しきっているのである。 私はこの感動に強く打たれながら、6歳の頃に父と旅した思い出の地、小樽の土を踏みしめる。 “小樽人(おたるびと)に感謝。”何度も心の中で呟きながら辿ったこの廃線の醍醐味、とくとご覧あれ。 |
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国鉄橋場線 橋場駅 (休止線・実状は廃線) (執筆中) 北国の桃帯小町、秋田新幹線E3系の駆け抜けるJR田沢湖線。 かつて盛岡から延びていた「橋場線」と、大曲から延びていた「生保内線」。田沢湖のそばで手を結び全通することになっていたその二路線。全通の準備も着々と進められていた。 “資材供出”――その四文字は、全通目前の鉄路を悉く奪い去っていった。 戦後、ひとつの線形改良を経て、二路線は田沢湖線として全通した。1966年の話だ。 希望と絶望の終着駅。 |
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