Cielo Estrellado Short Story
春待ち風
2008年3月17日 執筆終了。
「どうして、こう…なんというか、“彩”が無いんだろう?」
― 春待ち風 ―
まだ、冬だ。
近いのに遠い。
まだ、春は来ない―
冬って、なんだか殺風景だ。
僕が望むような景色は、ない。
雪が降るといえば、構図に神秘さを添えることが出来るだろう。
でも、ここ大田区には、雪なんて期待できない。最近も降った覚えが無い。
この辺りの冬は、ただ殺風景なだけ。望むような絵を書いたり、写真を撮ったりはできないだろう。
六郷土手。
京急の六郷土手駅から少し多摩川に向かって行ったところのその土手に、僕はたたずんでいる。
こんにちは。さようなら。
多摩川にかかる鉄橋を行き来する列車から、そんな声が聞こえてきそうだ。
対岸の神奈川からやって来る列車。
こちらから、神奈川へ向かって去っていく列車。
水色の電車、オレンジの電車、そして、少し離れたところに赤い電車。
此処は、車種が豊富だ。
いつもは此処で楽しく写真を撮ったり絵を書いたりしている。
でも…冬じゃ無理だ。
冬は、彩が無い。殺風景なだけ。
ただ単に車両を撮っていても面白くないと思わないか?
多摩川の岸に、冷たい風が吹きぬけた。
水色の電車が蒲田に向けて走っていく。
「こんにちは、京浜東北線。」僕はそう呟いた。
ちらと腕時計に目をやってみる。もうこんな時間か…感傷に浸っていると、時の流れなんて速いものである。
今日はバイトは休みだ。でも明日は学校にバイトもある。
―ちょっと早めに休んでおくか。
冬がああだこうだ言っている暇は無い。
来ないものは仕方が無い。待てば来る。
―でも、待てないから困っていることを、ふと思い出す。
同時に自分の馬鹿加減に呆れ、溜め息が漏れた。
「品川〜。品川〜。ご乗車有難う御座いました。」
つ、疲れた…!今日はいつもより、大学の講義もバイトもハードだった気がしてならない。
目の前に、その疲れを吹っ切るように滑り込んできたのは、京浜東北線。
青いラインカラーは目に優しかった。
珍しく209系0番台ではなく、500番台がホームに滑り込んできた。
このフェイス、とってもお気に入りだ。
車内でたまたま空席を見つけたので、そこに座った。
あまり人が乗っていない。あまり天気が良くないからだろうか。
まあいいや…色々考えているうちに、少しうとうとしてきた。
「♪〜」
―耳にクラシック音楽が入ってきた。聞き覚えがある。
…!
かの音楽家、アントニオ・ヴィヴァルディの「四季:秋 第4楽章」の或るフレーズだ。
このフレーズの発車メロディは、確か「大井町102番」だったろうか。
ということは、今大井町を出るところか。
窓の外に目をやると、予想通りプラットホームが後退していった。
寝るのも面倒になって、暫く車窓から外を眺めていた。
東海道線のE231系の、蜜柑と茶葉をイメージしたといわれている、オレンジと緑のラインが疾走していく。
東海道線にはあまり乗ったことが無いなあと、ふと思った。
それもそうだろう。蒲田には東海道線は通っていない。東海道線に乗るならば、どっちにしろ川崎か品川まで京浜東北線で出なければならない。
そりゃ、乗ることは無いわなあと、独り苦笑いしている。
そうこう回想に浸っている間に、あっという間に大森についた。
大森を出ると、やるせない溜め息が出た。
何で溜め息なんてついてるんだろう?
―この季節が退屈だからか?
それとも、忙しいだけで彩りの無いこの生活に飽きたからか?
いや、この季節が退屈だとしても、生活に飽きることは無いはず。
大学もバイトも大変だが、とても面白く、楽しく感じている。
―なら、この溜め息は、僕が求める何か…?
構図に与えるべき彩か?そんなの、前から求めているさ。でも、この溜め息は何だか違う気がする―
蒲田もすぐだった。
結論が出る前に蒲田に到着した。
慌てて金網の上においた荷物を手にし、発車メロディが鳴り響くホームに降り立ったのだ。
蒲田駅の階段は、降車客より乗車客で込み入っていた。
矛盾を感じた。車内には人は少なかった気が…
と、階段の下り側から、ひとりの女性が、僕の目の前に人ごみから吐き出された。
「きゃっ」という小さな声に続き、階段で足を踏み外す。
僕は驚いた面持ちで、階段の踊り場で女性を受け止めることが出来た。
―甘い香りだ―
「あ、有難う御座います!」
女性は僕に御礼をした。そんな大層な事はしていないと思いつつ、「いえいえ」と返す。
甘い香りは、どうやら女性のものらしい。
女性は人ごみを掻き分け、階段を降り、ドアが閉まる直前の車両に乗り込んでいった。
駆け込み乗車は本来止めなければいけないのだが、僕はそんなことも考えられないくらい、不思議な気分だった。
階段には、ほんのりと甘い香りが残っていた。
僕は、飾られたバラより美しい、路地裏で見つけた一輪のタンポポのような笑顔を忘れることが出来なかった。
蒲田の駅前に止めた自転車に乗り、数キロの距離を六郷土手までこいでゆく。
京急線に乗っていったほうが明らかに早いのに、僕はいつも京浜東北線を使う。
まあ、蒲田駅のそばに家があるから、京浜東北線を使うのに慣れたんだと思うけど…
ん〜、風が気持ちいい!
さっきまで感じていた倦怠感も、いつの間にか風が運び去ったようだ。
また、六郷土手。
僕はファインダーを覗いている。
赤い電車が川を渡ってきた。京急2100形だ。
パチリ、パチリと数枚シャッターを切った。連写は成功した。
撮影結果を見たところ、予想通り快特だった。
乾いた曇天の冬空に、赤い電車は思ったより映える。
京浜東北線も好きだが、東海道線や京急線も好きだ。
だが、いつも感じている「あの感じ」をまた感じた。
矢張り、周りが殺風景過ぎる。
周りが殺風景だからこそ、車両が映えているのかもしれないが、
どうせならば彩りのある構図も欲しい。
そして、先程車内で初めて感じた「もうひとつの感じ」を感じた。
なんだ?僕が求めているものって、何なんだ?
―そのとき、蒲田駅の階段で感じた甘い香りを思い出した。
何を考えているんだ?自分でもよく分からない。
気持ちをそらすべく、神奈川県に向かう京急の800形を後撃ちした。
それからというもの、次の日も、その次の日も、僕は例の「あの感じ」にさいなまれることになった。
未だに「あの感じ」が何を意味するのかは分からない。
特に今日は「あの感じ」が何か探求するあまりに、危うく講義中に先生から受けた質問の返答に失敗するところだった。危ない危ない。
そういえば、蒲田ではここ最近あの人を見ていない。
勿論蒲田だけでなく、他の場所でも。
矢張りあの日の出来事は、単なる偶然だったのだろうか―
「蒲田〜。蒲田〜。ご乗車有難う御座いました。」
列車を降りるが、矢張りあの人を見つけることは無かった。
あの人あの人って思っているが、僕は何を期待してるんだろう?
また溜め息をついている自分に気がついた。溜め息混じりに階段を上っていった。
あー…肩が重い。やっぱり疲れてるんだろうな…
左手で、重い右肩を叩こうと手を伸ばす。そのときだった。
暖かな温もりに触れた。
頭が疲れているのは事実だが、何か温もりに触れているのは間違いない。
誰かの手、そして―甘い香り。
僕はやっと気付いた。そして振り向く前に、優しい声がした。
「やっぱりあなたじゃないかと思ったんです!
この前はどうもありがとう御座いました!お陰さまで、本当に助かりましたよ。」
僕が探していた、あの女性だった。
相変わらずの綺麗さに、思わず頬が熱くなるのを自分でも感じた。
「い、いえ!そんな大層なことはしていませんよ。」
僕は慌てて返す。まさかまた話すことがあるなんて…
「私ね…ずっと、あなたのことが忘れられなかったの。」
思ってもみないセリフだ。
「いつもいつも、決まって蒲田のこの位置に降りて、決まってこの階段を見上げて溜め息をついてるあなたを見てたわ。
それに、友達から聞いたの。たぶん、あなたも知っている友達だと思うけど。
大学にいるあなたの誠実さも、優しさも、全部聞いたわ。
そのとき気付いたの。その優しさ、素晴らしい性格があるから…
あの時、私を救ってくれたのかなあって。」
彼女は僕の手を取り、階段を上りながら嬉しそうに語った。
とても自分では考えたことも無いセリフだ。
「そ、そんなことないですよ!転びそうな人を助けるくらい、当然です。」
彼女は嬉しそうな溜め息をつくと、僕に言った。
「ねえ、六郷土手に連れて行ってもらえないかしら?
―こうやって話すのは初めてだし、あなたは私のことをあまり知らないと思うんだけど…
よかったら、あなたのお気に入りの場所に連れて行ってもらえない?」
僕は最初戸惑ったが、自転車の後方に荷台がついていて二人乗りくらいなら出来ることを思い出すと、頷いた。
「僕は、あなたを知らないことに戸惑う以上に、あなたを僕の“楽園”に連れて行きたいと思ってますよ。」
自分らしくないセリフを格好つけて言っている事に気付いて、顔が更に紅潮のが自分でも分かった。
しかし彼女はそんなことに気も留めず、あの向日葵のような微笑を投げかけた。
―その笑顔を見ていると、春を連想した。
蒲田から六郷土手までは数キロある。
彼女を乗せて走る六郷土手までの道は、いつもより時間がかかる。
だが、いつもよりその時間も短く感じた。しかも、いつもより楽しく。
風が吹き抜けていく。彼女の甘い香りを運びながら。
止まっている車のサイドミラーに、風にそよぐ彼女の美しい黒髪を見た。
―綺麗な人だ―
またまた、六郷土手。
自転車を土手に止め、岸辺の斜面にふたり腰を下ろした。
タタン、タタン、タタン。
橋梁をわたる列車の華麗なステップのように、気分は弾んでいた。
「ここって来たこと無いけど、いい所ね。」
彼女は言った。
「うん。僕は電車も好きだし、ここの景色も好きだから、丁度いい場所なんだ。
いつもは絵を描いたり、写真を撮ったりしてる。」
僕は、少しだけ誇らしげに言った。
「『いつもは』ってことは、今はどうなの?」
彼女は疑問を含んだ表情で聞いてきた。
「まあ、今もそうしてるけど…
殺風景なこの冬景色に飽き飽きしてきたんだ。
この殺風景さじゃあ、僕らしい絵もかけない気がするし、ただ単に列車を撮っているだけでもつまらないんだよね…」
僕は、今まで誰にも語ることの無かった思いを、一気に吐露した。
彼女は僕のことを分かってくれそうな気がしたから。
「あら、冬はお嫌いなの?」
彼女の思いがけない言葉に続き、タタン、タタンという軽快な音がした。
「私は、冬って大好きよ。
冬って、確かに皆暗い表情をしてる気がするわ。
でも、私はその暗い表情に花を咲かせてあげることが出来る、そんな冬が、逆に大好きなの。」
―彼女、思いもよらない考え方をする人だ。
「恋だって、冬にめぐり合って初めて“春”が来るんでしょう?」
―そうか。言われてみればそうだ。恋をしたことの無い僕には、よく分からないけど。
ダダン、ダダン、ダダン。
さっきよりも更に軽快に、更に重い響きがした。
東海道線のハイスピードのせいだろうが、僕にはそれだけではない気がした。
「―ねえ、どうせなら、私と一緒に電車を撮ってみてよ。」
彼女はニコニコしている。率直にいい笑顔だと思った。
「うん。わかった。じゃあ、次の電車で。」
僕も笑顔で返した。
対岸に目を凝らす。
ふたつのほんのりとしたヘッドライトが見えたのは間違いない。
僕は彼女の立ち位置を予め指示し、ファインダーを覗きこんだ。
来る、来る、来る―失敗できない。
青い電車、まだ京浜東北線・根岸線にわずかしかないE233系だ。
大げさだが、臨時列車を撮影するときよりも重い何かを感じた。
カシャッ、カシャッ、カシャッ。
連写が成功したのはほぼ間違いないだろう。
僕はディスプレイに撮った画像の一枚を映し出した。
それは、「一瞬」というワンシーンを切り取った、紛れも無い写真の一枚。
しかし、いつも撮っている一枚より、断然違う重みと、何かを感じた。
彼女の笑顔、そしてその存在。
殺風景な冬だが、それらによって“彩”がもたらされた気が、何となくした。
そのとき、僕は今まで感じていた「あの感じ」にようやく気付いたのだった。
―殺風景な構図に、君という“彩”を添えられたら―
「私、気付いちゃったの。」
「あの感じ」にようやく気付いたことに、驚きを隠せず沈黙している僕。
そこに彼女はひとことだけそう言った。それでハッと我に返った。
「―私、やっぱりあなたのことが好きみたい。」
―僕の、寒さでかじかむ表情に、花が咲いたのが分かった。
「ほら、笑った。冬はこれが楽しいのよ。
これで、あなたが笑う『暖かな春』が来そうね。」
彼女は、今までで一番声高に、かつ言い表せない嬉しさを籠めて喜んだ。
―僕にも、『あなたを好きになる』という春が、やっと訪れそうです。
その景色が冬でも、“彼女”という“彩”があれば、そこはもう、春の世界。
一陣の風が吹いた。それは、僕と彼女と同じ。
彼と彼女と僕、それぞれの春を待つ、「春待ち風」―
あとがき
「ゆきふりほしみ」名義で初の小説、「春待ち風」、いかがでしたか?
「春待ち風」のタイトルは、立川などで利用されている発車メロディ「春待ち風」よりとりました。物語の舞台となる蒲田は、「春待ち風」のメロディには無縁ですが…
もう少し短めに締められれば良かったのですが、ちょっと長くなってしまいましたね。
ただ単に写真を撮ったりしているだけではつまらないと思うんです。
季節感のある風景を交えた、そんな写真が撮れる人間になれたら…と、そんな個人的な思いも込めたつもりです。
存在するものを上手く生かす、それが出来る人間になれればと思っています。
自分が恋をしたことが無いので、こういうちょっとした恋物語はリアリティが無いのですが、ご容赦を^^;
そうそう、タイトル画像に「Wind waits Spring,
and…」という一文があります。
「風は待っている、春と…」というつもりで書きました。
風は、春と何を待っているか、そこはご覧下さる皆さんの「続きの世界」でのご想像にお任せいたします。
最後になりましたが、駄作をご覧下さいまして有難うございました。
次回作もご覧下されば嬉しく思います。
Copyright © 2005, 2008 Yukihuri Hoshimi All Rights Reserved.
Cielo Estrellado
画像の無断転載・無断使用を禁ず