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Cielo Estrellado's Short Story
4+4の赤い機影
2009年10月17日 執筆終了


> Top > 小説集もくじ > 『4+4の赤い機影』(現在地:You're here.)


「(何やってんだ、早く乗れよ。お前が乗るのを待ってるんだぜ。)」

− 4+4の赤い機影 −

それは、風もすっかりと涼しくなった11月のある日のことだった。
相変わらず会社帰りの人々で混み合う駅。仕事終わりの男性が、いつものように駅の階段を上っていた。今日も満足げな笑顔を浮かべつつ、一歩一歩踏みしめるように。
今日はいつも以上の充足を感じている男性。単に仕事が終わったからという理由だけでなく、この時期恒例の、プロ野球の「日本シリーズ」の生中継が目前に迫っていたからだ。

帰宅のラッシュ時ということもあり、駅の改札口は人でごった返していた。
彼は定期券が一体化したICカードをすべるようにタッチすると、改札を通り抜け、人ごみの中を縫うようにプラットホームへと向かっていく。

誰もが、自分を待つ家庭へと帰るのだろう。
命令に従って動く機械のように黙々とホームへ歩を進める仕事帰りの人々は皆、疲労を帯びたような風を呈している。
自分もその一人であることは言うまでもなく、ただ恋しい家庭へ、そして大好きな野球の中継を見るために、家路をゆくのだ。赤い電車に揺られて。

雑踏の向こう側から、ベルが鳴り響く音が聞こえる。自分が向かっているホームから聞こえるそれは、紛れもなく列車の発車を告げるものだ。
心なしか人ごみの動きが早くなったようにも見えた。電車へと急いでいる人がいるに違いない。
だが彼は、まだホームまで若干距離もあるこの場所から急ごうとは思わなかった。日常の通勤の経験からして、この位置からではもう間に合わない。
「次の電車で帰ろうか」――彼は人ごみに火照った体を冷ますように、歩調を少し遅らせた。

ただ二つの方向に流れていく人の波。
行く人、来る人。ただその二つだけの波が、水のないその場所に流れを作っている。下る流れの方が大波を作っているように見える状況ではあるが。
途切れることのない人波の中に、ただホームの発車ベルだけがひっそりと途切れた。

彼は階段を降りきった。地平のホームを吹き抜ける風が頬を撫でていく。人ごみの暑さを拭い去るかのような涼風だった。
帰宅が少し遅れることが気がかりではあったが、もう仕方のない話だった。次の電車はいつだろうかと、ホームを見やる。

その時彼は、ちょっとした衝撃を覚えた。

「(何やってんだ、早く乗れよ。お前が乗るのを待ってるんだぜ。)」

空耳が聞こえた。それが耳で聞き取った声でないことは、確実に気づいていた。
誰もがベルが鳴り終わった後もドアを開けている電車に乗り込むことだけに集中していて、誰一人そんなことを言うはずもない。

ホームに佇んでいるのは、発車寸前である4+4の8連の旧1000形だ。彼の大好きな形式の電車である。
彼の間の前には、その4連ずつが手を結ぶための無骨な連結幌がその姿を見せている。

……今の声は、君、なのか?

彼はとっさに理解した。 無骨でかたい空気を放つ連結幌に一瞥を投げかけると、彼はまた人波に飲まれるようにドアへと流れていった。

◇   ◆   ◇   ◆   ◇

空耳に誘われるようにして乗り込んだ車内。改めて共に階段を下りてきた仕事帰りの男性たちの顔を見れば、やはり色濃い疲労を帯びている。
座席に腰掛けている人の多くは瞳を閉じており、つり革に手を掛けている人ですら眠そうな顔を浮かべている。
彼はそんなありふれた日常の一コマを感じながら、網棚に自分のブリーフケースを置く。

タタン、タタン。
彼の好きな列車はほぼ規則的にあの音を響かせる。
窓の外、奥手に見える光線はゆっくりと流れ、時折踏切の赤い灯火が目の前を駆け抜けるように彩っていく。

あの空耳は、自分の都合の良いように聞こえただけかもしれない。電車が口を利くはずがないのだ。
だが、それでも良かった。幼い頃の思い出深い車両は、もう彼の大好きなこの形式、旧1000形しかないのだから。
空耳でもあの赤い電車が待っていてくれたなら、それがなんだろうと彼は構わなかった。

幼い日の思い出が、目の前に流れていく光線と寄り添うように流れていく。
まだこの電車がありふれていた時代のこと。あんな無邪気で、何も考えずに毎日を楽しんでいたような、本当に子供のような日常を送れた日にはもう戻れない。
彼には、もう養わなくてはならない家庭もある。何より、時計の針は左には廻ってくれないのだ。

『(何やってんだ、早く乗れよ。お前が乗るのを待ってるんだぜ。)』

時計の針は、確かに左へ戻すことはできない。
だがこの赤い電車が、その電車が発したのかもしれない言葉の空耳が、その時計の針が少しだけ止めていた気がした。
そして、今流れている時間に寄り添うように、彼自身の胸に秘められた古い時間の針が廻っているように思えた。

タタン、タタン。
赤い電車の外に、夜の灯りは淋しく流れていった。


あとがき

数日後、彼の携帯電話に知人からの情報が入った。

『京急最後の旧1000形4+4の8連、ついに本線から撤退へ』

それは、京急から旧1000形の4+4連が廃止されることを意味していた。
最後の「4+4」が袂を分かち、ふたつの「4」として生きていく、そういうことである。

彼は、あの夜の不思議な出来事を思い出していた。無骨な連結幌が、瞳を閉じればまざまざとよみがえってくる。

あの日自分を待ってくれた「4+4」は、もう居なかった。

◇   ◆   ◇   ◆   ◇

自分の書く小説からして、風変わりな短編を書いたなあと思っています。

とある友人の方の日記に書いてあった数行の文章にヒントを得て、今回執筆させていただきました。ご快諾、有難う御座いました。m(_ _m)
それにしても、愛されてきた旧1000形、めっきり減ってしまいました。以前に撮影した写真を見ながら思い出にふけっております。


This report was written 10/17 2009.
Last modifying is 10/17 2009.

reason for modifying : To upload. (First Modifying)
Special Thanks : Prince E氏 !!

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