Report
当サイトのメインコンテンツ、廃線・専用線のレポートです。
> Top > レポート集もくじ (現在地:You are here.)
【業務連絡】リンクは旧リンクです。画像は新ディレクトリです。メンテ時に張り替えてください。
※chidori-1,tsurumi-kawaguchi-0以外
【非鉄ミニレポ】 川崎市 「川崎港海底トンネル」 ( NEW!! ) 【最終更新:2015年5月31日】 「独りでは通りたくない……」。今回はそんな海底トンネルのミニレポートをお送りする。 弊サイトではもはやおなじみの「川崎区千鳥町」(神奈川県川崎市)。 2回目の千鳥線探訪レポートでは千鳥町側の歩行者入口まで到達したが、距離の長さゆえに踏破は見合わせていた。しかし2011年1月、友人・先輩らと東扇島に夜景を見に行くこととなり、ついにこの海底トンネルを踏破する好機が巡ってきた。 |
姫路市交通局 姫路モノレール ■ 導入 / 1 / 2 ( NEW!! ) 【最終更新:2015年6月6日】(第1回を追加) 1966年に兵庫県姫路市に開通した姫路モノレールは、日本でも希少な「ロッキード式」を採用したモノレールだった。ロッキード式の高速性を活かし市南部の臨海地帯、さらには山陰の鳥取との直結も夢見た路線。いち早く自動車社会がもたらす問題に気付き、その代替手段として建設された先進的路線でもあったが、時代の方が追いつかず、あえなく8年で潰えることとなった。 しかしその先進性は、当時の中間駅「大将軍駅」として結実し、平成も25年を過ぎた現在まで姫路の市街地に鎮座しつづけることとなる。この大将軍駅の特徴は「10階建てビルの3・4階部分に軌道を通してそこに駅を置く」という、ビルとモノレール駅を一体化させた斬新な設計。他に類を見ない駅が姫路にはあったのだ。 |
小田急線には、廃線や廃駅、旧線や専用線の絶対数が少ない。 今回のレポートはその数少ない物件数のひとつ、本線たる小田原線の旧線跡だ。 現在は新線でこの蛇行を解消しており、その上に置かれた新駅「新百合ヶ丘駅」は多摩ニュータウンへの玄関口ともなっている。 |
北海道と本州とを隔てる海峡をくぐり、ふたつの大地を結ぶ「青函トンネル」。 連絡船「八甲田丸」は、連絡船最後の日に乗客を送り届けた船のうちの一隻だ。 その八甲田丸、船内には当時の資料や鉄道車両が収められていて、見学も可能だ。 |
2009年春、私は毎年のように、春の風の吹く鶴見線沿いをふらりと歩いていた。 その途上、ふとある念が湧き上がった。 「浜安善に会いたくて」――私はその思いを胸に、あの素敵な剥げ落ちた空色の駅舎に会い見えるために、石油支線を訪ねることを決めた。 そんな成り行きで訪ねた4月12日の石油支線。踏切・橋梁・専用線を完全網羅した、3レポート中最も質の高い情報をお届けする総括編。 |
千鳥町の前回調査から約2年の時が過ぎ去ろうとしていた。 何気ない気持ちで、専用線より寧ろ貨物列車の撮影がメインで訪れた千鳥町。 更に千鳥線本線の市営埠頭区間には、北国で見覚えのある機関車「青い機影の異端児」が! あ、いや、「もう写真で答え分かってる」なんて言わないでっ>< |
国鉄橋場線 橋場駅 (休止線・実状は廃線) (執筆中) 北国の桃帯小町、秋田新幹線E3系の駆け抜けるJR田沢湖線。 かつて盛岡から延びていた「橋場線」と、大曲から延びていた「生保内線」。田沢湖のそばで手を結び全通することになっていたその二路線。全通の準備も着々と進められていた。 “資材供出”――その四文字は、全通目前の鉄路を悉く奪い去っていった。 戦後、ひとつの線形改良を経て、二路線は田沢湖線として全通した。1966年の話だ。 希望と絶望の終着駅。 |
国鉄手宮線 # 1 ⁄ 2 北海道で初めて敷設された鉄道、それが手宮線である。だが廃線となったこの路線が、まさかそんなにも華々しい歴史を持っていると知る人は多くはないだろう。 1880年の開業から1985年の廃止まで、1世紀弱もの間働き続けた手宮線。 なんとこの手宮線は、廃止時点の面影をほぼ完全に残しきっているのである。 私はこの感動に強く打たれながら、6歳の頃に父と旅した思い出の地、小樽の土を踏みしめる。 “小樽人(おたるびと)に感謝。”何度も心の中で呟きながら辿ったこの廃線の醍醐味、とくとご覧あれ。 |
奥羽本線旧線 矢立峠区間(陣場〜津軽湯の沢) (執筆中) 2009年8月8日。私は人生初の遠征の旅路にて、青森県は津軽湯の沢駅に降り立っていた。 実は、かつてこの津軽湯の沢駅から、県境を越えた南隣の駅陣場駅まで、旧線が延びていたのである。 矢立峠には、峠というだけあり多数の隧道がいまだ口をあけて鮮烈に残されていると聞く。 |
室蘭本線旧線 (栗丘〜栗山間) (執筆中) 遠征の2日目、私は北海道の岩見沢に程近い栗丘駅に立っていた。 この旧線は、かつては複線の上下線の片側として機能していた線路であった。 崩落現場――その現場となったトンネルは、北の大地では名の知れた、美しい透き通った聖玻璃の明かりの差し込むトンネルだった。 |
横浜臨港線+山下臨港線 前編/後編 2009年6月2日、横浜港が開港150周年を迎えた。 今回取り扱う廃線はふたつ。片やまもなく敷設から一世紀を迎える「横浜臨港線」、片や今ではみなとみらいの名所、山下公園の上を駆け抜けていた「山下臨港線」。 |
(このレポートの紹介文はまだ何も書かれていません。) |
前回の新興線探訪から1年半経った。 その真偽の確認を果たすべく、そして前回の未調査区間を含めた全線の調査を行うべく、私は再び新興線の駆け抜けた地に降り立つ。 新興線は、思わぬ変化を遂げていた。 |
2008年3月15日、初めて手にした「貨物時刻表」。そこには、無くなったはずの千鳥線の定期輸送ダイヤが復活していた。 私は今度こそ国道を横切る列車を撮影したい、という一心で、4度目の千鳥町探訪と相成った。 |
海老名・湘南台と横浜を結ぶ私鉄、相模鉄道。 この航空隊線は、相模大塚駅の西側で分岐し、米軍の厚木基地にいたるという専用線である。 現在、この専用線は廃線となっているが、かなり良好な状態で現存している。 |
貨物列車撮影のため出かけた、川崎の八丁畷駅で、思わぬ遺構に遭遇する。 調査の結果、それはかつて川崎と川崎新町を結んでいた専用線だった。 多くの遺構が残る専用線のレポート。 |
JRの路線のひとつ、「横浜線」。 横浜線が国有化される以前の、「横濱鐵道」。 今回は埠頭の海風と時折姿を見せた異国情緒を感じながら、その僅かな影を追っていく。 |
今もなおタバコだけでなく、様々な分野で先頭集団を走る企業、JT。 この専用線は、小田急線に接続していた数少ない専用線のひとつである。 現在も残るロマンティックな遺構をお楽しみあれ。 |
彼の異名は、「書類上だけの路線」。 複雑な歴史をはらむ、臨海の貨物線の廃構の一部を、とくとご堪能あれ。 |
かつては数多くの支線と専用線の枝を伸ばしていた鶴見線。 といってもまだ本調査ではなく、とある調査の移動の際に少し訪ねた程度だ。 |
「石油支線」―非常に珍しい名称のこの支線は、かつて鶴見線の支線であった。 かつて私は、安善駅のそばの踏切から、よく分からない線路を見た事があった。 よく分からない線路を訪ねたい―その気持ちが、調査へと結びついた。 |
千鳥線から定期運用が消える― いつもと変わらぬ千鳥町― |
今回は、例の神奈川臨海鉄道が所有する別の路線、「千鳥線」をご紹介する。 千鳥線は、浮島線が走る埋立地「浮島町」の隣、「千鳥町」を走る。 甲種輸送などでも使われる事があるこの千鳥線、覗いてみてください。 |
神奈川県東の臨海部に展開する、「神奈川臨海鉄道」。今回調査した浮島線は、そんな神奈川臨海鉄道の路線のひとつである。 普通の貨物線とは一味違う「埠頭の貨物線」を、ご賞味あれ。 |
Copyright © 2007 - 2012, Yukihuri Hoshimi, All Right Reserved.
いるか急行の背に乗って
全ての画像・文章の無断転載および無断使用を禁じます