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Cielo Estrellado's Reports
横浜臨港線+山下臨港線 前編< 横浜開港150周年企画 >
その地では、約90年前に敷設された貨物線の名残が今でも姿を留め、愛され続けている。
2008年1月11日・3月27日・2009年3月12日 調査 (ただし2008年1月11日のみデータ消失)


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まえがき

昨日(註:公開当日から見て)2009年6月2日、横浜港が開港150周年を迎えた。
平日ということで現地に赴くことのできなかった私は、このレポートを通して150周年をお祝いしようと考えている次第である。

開港から150周年を迎えたその地横浜には、約90年前、1920年に敷設された貨物線が今でも姿を留めたり少し形を変えたりして、今も愛され続けていた。
2020年7月23日に敷設100周年を迎える「横浜臨港線」である。
さらに愛されているのは彼だけではない。2015年7月1日に敷設50周年を迎える「山下臨港線」も、今もなお愛され続けている。

今回は、この愛され続けているふたつの廃線跡の現状を詳しくレポートする。


横浜臨港線と山下臨港線のデータ

・横浜臨港線:高島駅※註1 〜 東横浜駅※註2 〜 横浜港駅※註3 (いずれも廃駅。)、1917年(大正6年)6月17日全通、1987年(昭和62年)3月31日全廃。
・山下臨港線:横浜港駅 〜 山下公園駅※註4 (いずれも廃駅。)、1965年(昭和40年)7月1日全通、1986年(昭和61年)11月1日全廃。
・東西上屋倉庫専用線(推定):横浜港駅 〜 東西上屋倉庫※註5 、1963年の地図の時点で確認でき、2008年3月27日時点では倉庫近辺のみ現存。現在は再開発により消失。

 ・註1 - 根岸線桜木町駅と高島線東高島駅の間にあった。
 ・註2 - (横浜臨港線方面に抜けた場合の)高島駅の次の駅。現在の桜木町駅の東側にあり、古地図から現在の首都高速横羽線 みなとみらいIC付近にあったと想定される。
 ・註3 - 横浜臨港線の終着駅、東横浜駅の次の駅。現在の横浜赤レンガ倉庫周辺に位置し、万国橋交差点から赤レンガ倉庫にかけて広大なヤードを構えていた。
 ・註4 - 山下臨港線の終着駅、横浜港駅の次の駅。現在の山下公園周辺。山下公園駅に至る途中、山下公園の上を高架橋で越えていた。
 ・註5 - 横浜税関の近辺にあり、2008年3月27日の調査時点では存在した。横浜開港150周年記念の再開発により取り壊された。

横浜臨港線と山下臨港線の歴史 (関連駅・路線を含む)

※註:直接関連しない事項に関しては省略してある。

◇西暦/年号/月/日◇概略◇内容
1915年(大正4年)12月30日高島駅・東横浜駅開業

貨物支線 程ヶ谷 - 高島 - 東横浜間(3.3M≒5.31km)が開業※註6。高島駅、東横浜駅が開業。

※註6:程ヶ谷 - 高島間は1929年9月16日廃止。

1917年(大正6年)6月17日高島線のいしずえ貨物支線 鶴見 - 高島間(4.1M≒6.66km)が開業。
1920年(大正9年)7月23日横浜臨港線、全通東横浜 - 横浜港間(1.6M≒2.57km)延伸開業。横浜港駅が開業。
鶴見 - 横浜港間で旅客営業(ボート・トレインの運行)開始。
1960年(昭和35年)8月28日ボートトレインの終焉ボート・トレインの運行終了(旅客営業は戸籍上残る)。
1961年(昭和36年)山下臨港線の敷設工事、着手山下臨港線の敷設工事が着手される。
1963年(昭和38年)東西上屋倉庫専用線?この年発行の地図には、横浜港駅から東西上屋倉庫近辺につながる専用線の姿が確認できる。
1964年(昭和39年)6月1日(高島線の原型が完成)貨物支線 高島 - 桜木町間 (1.9km) が開業。
1965年(昭和40年)7月1日山下臨港線、全通貨物支線 横浜港 - 山下埠頭間 (2.0km) が開業。山下埠頭駅が開業。
1979年(昭和54年)10月1日東横浜駅、信号場に東横浜駅を信号場に格下げ。
1981年(昭和56年)1月30日東横浜駅、廃止東横浜信号場廃止。
1982年(昭和57年)11月15日横浜港駅、信号場に横浜港駅を信号場に格下げ。
1986年(昭和61年)11月1日山下臨港線、廃止貨物支線 横浜港信号場 - 山下埠頭間 (2.0km) 廃止。
1986年(昭和61年)11月1日新港地区の臨港線の斜陽高島駅を信号場に格下げ。高島信号場 - 横浜港信号場間の貨物営業を廃止(旅客営業区間として存続)。
1987年(昭和62年)3月31日横浜臨港線、廃止高島 - 横浜港信号場間 (4.3km) 廃止。横浜港信号場廃止。
1987年(昭和62年)3月31日高島駅の再開業高島信号場を高島駅に格上げ、高島駅再開業。
1989年(昭和64年)
 3月25日〜10月1日
ひとときの復活

横浜博覧会の開催に合わせ、旅客輸送を目的に、線路が残されていた廃線区間
(東横浜駅近辺〜横浜港駅〜山下公園駅)を復活し、日本丸駅※註6〜山下公園駅が復活。気動車が運行される。

※註6 - 現在帆船「日本丸」が係留されている近辺に作られた、博覧会開催中限定の駅。東横浜駅に近く、東横浜〜横浜港間に該当。

1995年(平成7年)2月27日高島線最後の廃駅かつて横浜臨港線の基点だった高島駅が廃止される。
1998年(平成10年)汽車のいた道廃線となっていた横浜臨港線の東横浜〜横浜港間が「汽車道」として整備される。
2000年(平成12年)山下公園の高架橋の撤去が完了廃線となった山下臨港線の高架橋が、景観向上のために撤去。
山下公園上に架かっていた高架橋は全て撤去された。
2002年(平成14年)3月2日公園へのプロムナード山下臨港線プロムナード完成。

京急旧10000形 1348編成

この日は一日中友人のマンジャロ2号氏と行動を共にし、廃止2日前だった今はなき「富士・はやぶさ」号を撮影した後、新幹線E3系の甲種回送を撮影しに、根岸線石川町駅に赴いていた。
結果は写真のとおり、旅客に被られ大失敗。山手にしておけばよかったなあ><

E3の撮影を終えた私は、石川町で下車し、みなとみらいの散策とメインの廃線調査を始める。
散策のレポートは、近いうちに公開する予定の「みなとみらい21散策」レポートからお楽しみ頂きたい。

新幹線E3系 甲種回送:JR根岸線 石川町駅にて
美しき水面

今回の廃線調査のスタートは、みなとみらいにある山下公園である。

山下公園って? という方のために補足をするならば、マリンタワーの袂にある公園、とでも説明すればもっとも簡潔だろうか。

写真は公園の南東寄りにある池。上下二段構造になっており、上の池の水が流れ落ちてくる。
汗ばむくらいの春の陽気に涼しい水の流れを堪能した。

山下公園:横浜市中区山下町279にて
山下公園

それでは、調査開始だ。まずは写真奥(北西、桜木町駅方面)に進む。

山下公園:横浜市中区山下町279にて
撮影:マンジャロ2号氏 - thx!!
山下臨港線プロムナードに入る

それでは、早速散策に入ってみよう。

いきなりだが、写真は「山下臨港線プロムナード」の端である高架上である。
どうやって高架に入ったのか、という詳しい解説写真がなく申し訳なく思っている。

この高架へはエレベーターとスロープで上がることができ、それらは山下公園に隣接している。
赤レンガ倉庫方面へ抜ける場合は、このプロムナードを利用するのがもっとも手っ取り早い。

写真はかつての起点である高島線方面(桜木町駅方面)を向いている。
今後特に断りがなければ起点方向を向いていることとする。

山下臨港線プロムナード:横浜市中区山下町にて
撮影:マンジャロ2号氏 - thx!!
象の鼻地区に差し掛かるプロムナードからみなとみらい21の建造物を臨む

プロムナード上からの、みなとみらい21の眺望である。
高架のたもとにあたる写真左側に、奥に向けて岸壁が広がっているのがお分かりだろうか。
これは最近になって整備された地区で、「象の鼻地区」と呼ばれている。
開港時代に造成された波止場が象の鼻のような形状をしていたことからこう呼ばれている。
関東大震災の影響で象の鼻の形状はやや直線的に変形し、現在に至る。

この「象の鼻地区」で、明治20年代の廃線跡が発見された。
横浜税関の上屋への輸送のための線路で、時代の古さもさることながら、なんと「転車台跡」というおまけつきである。

開港150周年当日(6月2日)に一般公開されることになっている。
今頃、現地はどのような盛り上がりを見せているのだろうか。

象の鼻地区:横浜市中区山下町にて

波止場「象の鼻」に関する看板

波止場「象の鼻」に関する看板。
象の鼻地区で発掘された明治20年代の廃線跡とターンテーブルに関しての解説が掲載されている。

横浜市中区山下町にて

「象の鼻パーク」として整備中の区域

2009年3月12日現在での「象の鼻パーク」。
この時点では照明の取り付け作業をしており、まだ整備中であった。
開港150周年当日に開園されたはずなので、今頃どうなっているのか、非常に気になる。

実は2008年3月の時点では、ここに廃線跡が現存していた。詳しくは次の写真にて。

象の鼻パーク:横浜市中区山下町にて
「象の鼻パーク」として整備される前にあった専用線跡と思しき軌道

これは、プロムナードの高架下、ちょうど先程紹介した「象の鼻パーク」がある場所に該当する。
撮影は2008年3月27日で、当時はまだ「象の鼻パーク」の整備は行われておらず、「東西上屋倉庫」なる大きな建造物が存在した。 「象の鼻パーク」は、この東西上屋倉庫を取り壊して整備された模様だ。

恐らくこの軌道は倉庫への引込み線と思われる。
軌道は後述する新港橋梁近辺で山下臨港線から分岐し、地上を行く山下臨港線に寄り添うようにして地平を行く。ちなみに写真奥が山下公園方面。

プロムナードは桜木町方面に向かうにつれて地平に降りていくのだが、そのプロムナードが降りた先で、倉庫への引込み線を転用したと思われる遊歩道と合流した。

横浜市中区山下町にて
撮影:2008年3月27日
軌道に近寄ってみる

更に引込み線と思しき軌道に近寄って撮影してみる。(公道上から撮影。)
写真左上にわずかに見えるのが山下臨港線プロムナード。

横浜市中区山下町にて
撮影:2008年3月27日
山下臨港線プロムナードの橋げたにあった銘板

東西上屋倉庫の軌道を確認する際に撮影した写真。
山下臨港線プロムナードの橋げたにあった銘板である。

1963年10月は、恐らくこの橋げたが完成した時期と思われる。
山下臨港線プロムナードの前身である山下臨港線の工事が着手されたのが1961年で、開通したのが1965年7月10日の話なので、そう考えてもおかしくはないだろう。
意外と気づかれづらいであろう場所にあった鮮烈な遺構である。

横浜市中区山下町にて
撮影:2008年3月27日
そして、新港地区へ

さて、この辺りでプロムナードに戻るとしよう。
象の鼻地区を後にした私は、赤レンガ倉庫のある新港地区へと差し掛かる。

写真はプロムナードの新港地区へのカーブ。
右側は整備中の「象の鼻パーク」である。

やたらに「象の鼻パーク」が広々としているように思われるが、補足すると、「象の鼻パーク」はΓ(ガンマ)型の形状をしており、私はこのガンマに沿う形で歩いていたと思っていただいて構わない。

横浜市中区山下町にて
現存する橋梁、「新港橋梁」

新港地区へと向かう橋「新港橋梁」に差し掛かった。
当時の大蔵省臨時建築部により設計され、1912年(大正元年)に完成した。

後述するが、「横浜市認定歴史的建造物」に指定されている。

新港橋梁:横浜市中区山下町にて
「横浜市認定歴史的建造物」に指定されたことを示すプレート

これが「横浜市認定歴史的建造物」に指定されたことを示すプレートである。
プレートを見る限り、2002年に指定された模様。

新港橋梁のプレート:横浜市中区山下町にて
撮影:2008年3月27日
ゆきふりほしみ、新港橋梁に立つ。

山下公園方面に振り返って撮影。
背後に写る緑のドーム型の屋根を持った建物は横浜税関である。

街中で、両側にせり上がった枠に挟まれて橋梁上を歩いていると思うと気分が高揚する。

新港橋梁に立つ:横浜市中区にて
撮影:2008年3月27日
新港橋梁を振り返る

もう一度振り返る※註7

※註7:本当は振り返っていない。この撮影日当日は、2009年の調査とは真逆の方向(山下公園方面)に向けて進んでいた。 そのため実は進行方向を撮影した写真だが、誰も気にしないし、どうだっていい。

新港橋梁:横浜市中区新港にて
撮影:2008年3月27日
橋梁の袂にあった鉄道遺構、「曲線標」

新港橋梁の袂で見つけた標。見た瞬間鉄道遺構だと判断した。
とはいえ新港橋梁に付属するガス管の情報だったらカッコ悪いので、きっちり調査した。
調査の結果、「曲線標」となる鉄道標識であることが判明した。

写真を解説すると、
350 - 円曲線の半径が350mであることを示す
TCL = 15 - 緩和曲線の長さを示す(単位はメートルか)
CCL = 16.4 - 円曲線の長さを示す(単位はメートルか)

ここでいう円曲線とは、半径が常に一定の曲線区間、カーブのことである。
緩和曲線というのは、直線と円曲線の間に該当する、「ゆるやかなカーブ」とお考え頂いて構わないと思う。

車を運転されている方は、直線区間からいきなりきついカーブに差し掛かるとしんどい思いをすると思う。
鉄道もこれと同じで、直線区間からいきなりきついカーブに差し掛かると、脱線の恐れがある。
それを解消するために、カーブの手前から徐々に緩やかなカーブを描かせ、メインとなるカーブのきつさを軽減しようとするものである。

この曲線標は、緩和曲線と円曲線の境目に立てられるそうだ。

恐らくこんな解説で大体あっているとは思うが、私の要約力・文章力・説明力etc...ではやはり心配である。

詳しい解説をお求めの方は、管理人も絶賛するインターネット百科事典「ウィキペディア」で調べて欲しい。
曲線標 - http://ja.wikipedia.org/wiki/鉄道標識#.E6.A8.99.E3.81.AE.E7.A8.AE.E9.A1.9E
緩和曲線 - http://ja.wikipedia.org/wiki/線形_(路線)#.E7.B7.A9.E5.92.8C.E6.9B.B2.E7.B7.9A

横浜市神奈川区 恵比須町にて
撮影:2008年3月27日
ピントが合っていないのは撮影直後の確認不足。突っ込まないでーっ><

新港橋梁から臨む赤レンガ倉庫

新港橋梁から臨む赤レンガ倉庫。

余談となるが、新港橋梁の桜木町寄りから新港地区に入る。
どうやらこの新港橋梁辺りまでが、山下臨港線プロムナードだそうだ。
ちなみに、この先桜木町方面まで廃線跡は続く。

新港橋梁から臨む赤レンガ倉庫:横浜市中区にて

レポートは後半に続きます。
ここまでは「山下臨港線」の廃線跡を辿りました。
後編では、新港橋梁を越えて新港地区に入り、「横浜臨港線」の廃線跡を辿ります。
赤レンガ倉庫の袂に眠る廃駅のホーム跡、海にかかるトラス橋。良好な状態で現在も残されている遺構は必見です。

それでは、「横浜臨港線+山下臨港線」レポート 後編 をはじめませう。
……と言いたいところですが、筆者のhtml作成ペースがあまりにも遅いのでしばしお待ちください><


This report was written on 6/3 2009.
Last modifying is 6/3 2009.

reason for modifying : To upload. (First Modifying)

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