TOPReportSpecial ReportAbout This SiteAbout My SelfMoviesGalleryBlogNovelsBBSLinksExtra Contents

Cielo Estrellado's Reports
惜別、「富士・はやぶさ」号
半世紀以上にわたるその歴史に幕を下ろす彼らに、精一杯の感謝を捧げん―
2009年3月13日 執筆


> Top

----
まえがき

「富士・はやぶさ」号のみならず、多くのブルートレインがファンに愛されていたことは言わずもがなである。
しかしそのブルートレインも、東京発着のものは、来る3月14日のダイヤ改正で「富士・はやぶさ」号が廃止されることで、全て消え去ってしまう。

乗客の減少が廃止の大きな理由。「廃止を悲しむならばもっと乗ってあげればよかったのに」という声も聞く。
「本当に愛していたか?」と厳しいお言葉を、我々ファンに投げかけられる方もおられるであろう。
確かに、仰るとおりである。
私も、一度も「富士・はやぶさ」号の背に乗ったことは、ない。
しかしながら、私は一度も「富士・はやぶさ」号に乗ることができなかったことを後悔している。

だからせめて、私はこのレポートを書いて、彼に最大の感謝を示したい― そう思っている。


富士・はやぶさ ヘッドマーク

彼の名は、「富士・はやぶさ」。
門司駅で別々の目的地へと向かうまで、長い旅路を共にしてきた、ふたつの寝台特急。

「富士」は、当時の1・2等車のみで構成された、日本発の特急列車として、多くの期待を背に1912年に「1・2列車」として産声を上げた。1929年に「富士」と名づけられて以来、ずっとその名を背負って、九州への旅路を駆け抜けてきた。

「はやぶさ」は、高度経済成長期の1958年6月1日に産声を上げ、1997年まで「日本一の長距離定期列車」として、彼もまた九州への旅路を駆け抜けてきた。

かつて「動くホテル」とも言われ人気を博したブルートレイン。しかしながら、時代の移り変わりと共に彼らは姿を消していく。2005年には、「富士」と共に生まれ、1999年から「はやぶさ」と手をつなぎ続けていた「さくら」が廃止されてしまう。
「さくら」の手を奪われた「はやぶさ」は、それ以来こんにちまで「富士」と手をつなぎ続けたのだった。

だが、彼らもまた、「さくら」や姿を消した他のブルトレを追うように、また旅立ってしまう。
最後まで、手をつなぎながら。このヘッドマークが語るように―

「富士・はやぶさ」ヘッドマーク:東京駅にて
富士 テールマーク

「富士」は96年弱、間もなく1世紀、「はやぶさ」は51年弱、半世紀以上にわたる長き歴史に、幕を下ろす。
記念すべき日本発の「1・2号特急」として生まれた「富士」も、「日本一の長距離定期列車」として走り続けた「はやぶさ」も、2009年3月14日の到着を最後に、同日のダイヤ改正を以って姿を消す。

今まで一度も彼らの背に乗れなかったことが、今でも心残りである。
見る見るうちに、西の国へ旅する青い機影は、もう無くなってしまうのである。

せめて、彼らに精一杯の感謝を籠めて、お別れを言いたい。
さらば、東京発最後のブルトレ、「富士・はやぶさ」よ!!

◇     ◇    ◇

写真は「富士」のテールマーク。「はやぶさ」のテールマークはカマの車端と「富士」の車端に挟まれるため、門司以東では車内からでしか撮影できない。(東京駅ではカマが一旦外れるが、立ち入り禁止位置からの撮影以外は手段が無いので撮影不可能。 - 新幹線ホームからは撮れるのか?)

「富士」のテールマーク:東京駅にて
「富士」と撮影者たち

2008年3月27日 東京駅にて

今から約1年前、2008年3月27日の写真である。
この日も、東京駅は多くの撮影者で賑わっていた。

東京駅にて

「富士」のテールマークと撮影者たち

2008年3月27日 東京駅にて

東京に到着した1レがカマを切り離すと、テールマークを狙う撮影者の姿も見えた。

東京駅にて

流星マークと「関」マーク

2008年3月27日 東京駅にて

寝台特急を表す「白い流星マーク」と、下関地域鉄道部下関車両管理室所属を示す「関」マーク。
この組み合わせは、もう東京駅で見ることはほぼ無いだろう。

東京駅にて

「富士」大分行き方向幕
@2008/3/27
「はやぶさ」熊本行き方向幕
@2008/3/27
「B寝台 ソロ」表示
@2008/3/27
SOLO オハネ15 2002
@2008/3/27
SOLO オハネ15 2004
@2008/3/27
この日の牽引機、EF66-49
@2008/3/27
ベストショット
「さらば、『富士・はやぶさ』号よ―」 この撮影の一瞬一瞬で、そう感じた
1レ、祭りの横浜駅にて
@2009/2/21
2レ。この日のカマは、奇遇にも1年ほど前の撮影のときと同じ、EF66-46だった。横浜駅にて
@2008/2/22
2レの後撃ち、横浜駅にて
@2008/2/22
2レとしての「富士・はやぶさ」号、ラストラン。横浜駅にて
@2009/3/12
最後の2レの後撃ち。富士のテールマークが薄くなっているのが分かるだろうか。横浜駅にて
@2009/3/12

あとがき
今、この惜別レポートを書いている今も、「富士・はやぶさ」号最期の時は迫っている。
そう思うと、悲しくてたまらない。

私の少ない全記録を公開することで、果たして最大限の感謝が示せるか分からない。
それでも私は、こうして彼の姿をレポートとして留めておくことで、誰もがいつでも彼を覚えているように、そうすることで、彼に恩返しをしたい。

明日の2レも、各地で祭りだろう。
「富士・はやぶさ」号よ、最後の雄姿を見せてくれ。鉄道ファンよ、精一杯の感謝を見せてくれ。

さらば、「富士・はやぶさ」号よ!
Railfans always remember you. We hope that someday we'll see you again.
Goodbye, Sleeping Express [ Fuji and Hayabusa ] !!


Cielo Estrellado's Reports
追記:別府に残る「富士」の面影 - ダイヤ改正後の湯の街で
湯の街別府には、彼の面影と彼を忘れない人々の思い出がまだ残っていた―
2009年3月16日 撮影、2009年3月17日 執筆


2009年3月16日、別府駅近辺を訪ねる機会があったので、行程の合間の数十分で別府駅を訪ねた。
関東人の管理人、ゆきふりほしみにとっては、別府のみならず九州全土は未知の土地であった。

別府駅での撮影の中、私は「富士」が遺した、わずか、ほんのわずかだが、大切な面影を見つけた。
今回は、その面影を別府駅の写真と併せて皆様にお届けしたいと思う。

それでは、面影を訪ねた「別府に残る『富士』の面影」レポートをはじめませう。


This report was written3/13 2009.
Last modifying is 3/17 2009.

reason for modifying : To add a postscript.

トップに戻る
レポート集の目次に戻る