Cielo Estrellado's Reports
神奈川臨海鉄道千鳥線 Part4
埠頭に眠りしDD51、埠頭に潰えし千鳥東線!?
2010年1月3日 調査、2010年1月9日 執筆
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まえがき
2010年最初のレポートは、1月3日に最々々々訪問(!?)した川崎区千鳥町の千鳥線のレポートである。
ホームページ上にレポートのない探訪を含んで第5回目の千鳥町探訪。この街には私をひきつける性質があるらしい。
前日に友人のマンジャロ2号氏から「千鳥線に行きたい」というお誘いを受け、5度目の出撃を決意した。
京急川崎で集合、京急蒲田を経て穴守稲荷を参詣の後、千鳥町に引き返して調査、という計画に相成った。
ところで、千鳥線といえば「廃線」ではなく「専用線」のレポートとして、当サイトではお馴染みであるが、
図らずもその「専用線」レポートとして書くはずだったものが、ちょっとだけ「廃線」レポートになってしまったのだ!
三が日早々訪れた千鳥町では、私の知らぬ間にまさかまさかの「ふたつの出来事」が発生していた……!
0.調査前でもぶらり旅 | 2010年1月3日 最寄 -> 八丁畷駅 -> 京急川崎駅 -> 京急蒲田駅 -> 穴守稲荷駅 -> 穴守稲荷 |
【地図を表示】 12:15 この日1月3日は、箱根駅伝往路の走者が京急蒲田駅の踏切を通過するということで、毎年恒例の行き先変更が行われていた。が、そんなことをすっかり忘れていた私は、何事も無く京急川崎へと到着した。 すると、同業者がやたらに多い。違和感を覚えつつ集合時刻までしばらく撮影をしていたが、結局その原因が行き先変更だと気付いたのは、京急川崎を発った後であった。 この写真は行き先変更の産物、北総車の「急行 川崎」行きであるが、当然この時「行き先変更」の文字列は頭に無く、「乗り入れか、いつぶりだろう」と、「電車待ちのついでに撮る」だけで終わってしまった。 京急本線 京急川崎駅にて
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北総車を撮った際に待っていたのは特急羽田空港行き。 京急蒲田で、手違いで先行して頂いてしまったマンジャロ2号氏と合流。穴守稲荷に向かう列車待ちの際にも、1番ホームに多数の同業者を発見。相変わらず理由が分からなかったが、ここでマンジャロ2号氏に言われて、ようやく行き先変更を思い出したのであった。 京急本線 京急川崎駅にて
多分この写真も行き先変更の産物。「快特 品川」行きは撮り損ねましたっ^^; |
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12:45 穴守稲荷に到着。初詣は川崎大師で済ませていたのだが、こちらにも参詣。「二の詣」とでも呼称しようか。 穴守稲荷は、ひとことでは言い表せない雰囲気を纏っていた。 ここでトラブル発生。一眼レフの電池切れである。 穴守稲荷の写真は数が少なくなってしまった上に、本レポートの趣旨から外れてしまうので割愛する。 穴守稲荷にて
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1.千鳥町の衝撃 | 2010年1月3日 移動:穴守稲荷 -> 穴守稲荷駅 -> 京急蒲田駅 -> 京急川崎駅 -> 小島新田駅 -> 調査 |
13:34 (京急川崎駅) 穴守稲荷に参詣した後、一路千鳥線最寄の小島新田を目指す。 京急大師線 京急川崎駅にて |
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14:08 夜光踏切を通過、14:20 千鳥町に入る。 千鳥橋:川崎区千鳥町にて
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千鳥町踏切。千鳥線と、その支線の千鳥東線の分岐点でもある。 千鳥町踏切:千鳥線(川崎区千鳥町)
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少し南方に歩いて、また川崎貨物ターミナル方を振り返る。 ご覧の通り線路は錆色である。結論を言うと、既に使用されていない。 千鳥東線(川崎区千鳥町)にて
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14:27 (昭和電工専用踏切) 踏切の奥に、鉄道門のある引込み線があるのが見えるだろうか。 昭和電工専用線:千鳥東線(川崎区千鳥町)にて |
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更に引込み線に接近する。液体の注入施設があるのが見て取れる。 昭和電工専用線:千鳥東線(川崎区千鳥町)にて |
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あーっ!! く、車止め……!! |
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しかも車止めより後ろ、線路が剥がされているじゃないか!! こ、これは、つまり…… 千鳥東線、部分廃線!? |
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しばらく千鳥町を訪ねていなかった間の出来事。 帰宅後に改めて調査を行ったところ、この日づけで千鳥東線の終点は移設されていたことが判明した。 これが、途中まではいつも通りに「専用線レポート」だったものが、 千鳥東線終点:千鳥東線(川崎区千鳥町)にて
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なー、君、ついに東線最後の踏切になっちゃったよー。 昭和電工体育館踏切:千鳥東線(川崎区千鳥町)にて
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なー、君、空が青いよ。 昭和電工体育館踏切:千鳥東線(川崎区千鳥町)にて
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2.驚愕の部分廃線区間を逝く | 2010年1月3日 移動:千鳥東線終点 -> 千鳥東線部分廃線区間(旧終点まで) |
14:33 部分廃線に対しては、残念というより驚愕の念のほうが大きかった。 とはいえなんとなく名残惜しい気はしたが、とにかく時間が無いので前進することにした。 写真は車止めのすぐ隣にある「昭和電工体育館踏切」を示すプレート。 さて、写真にはなにやら巨大な物体が映っているが、これはなんだろうか…… 昭和電工体育館踏切:千鳥東線(川崎区千鳥町)にて
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少し踏切から引いて、部分廃線区間を眺めてみる。 昭和電工体育館踏切:千鳥東線(川崎区千鳥町)にて
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例の物体に近寄って側面を見てみると、 温泉に入った日本男子のイラストがあるが、何か温かいのだろうか。 ごめんなさい、この写真使い回しです>< 本当はもう少し後で撮った同じものを使ってます。だからこの写真はまた後で出てきます; 千鳥東線 部分廃線区間(川崎区千鳥町)にて
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ひとつ南に進むと、「日石化学水揚場踏切」がある。 それにしても「水揚場」とは、何を水揚げしているのだろうか。 日石化学水揚場踏切:千鳥東線 部分廃線区間(川崎区千鳥町)にて
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南(かつての終点方面)に向き直る。 それにしても、このパイプはいまいち記憶にない。 日石化学水揚場踏切:千鳥東線 部分廃線区間(川崎区千鳥町)にて
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日石化学水揚場踏切のひとつ先は、「東燃石油化学第1踏切」である。 どの踏切にもプレートが丁寧に立てられていたのですっかり忘れていたが、 東燃石油化学第1踏切:千鳥東線 部分廃線区間(川崎区千鳥町)にて
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そういえば、この千鳥町には他の人工島にはない沢山のオブジェがある。 千鳥東線 部分廃線区間(川崎区千鳥町)にて
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線路沿いを歩き続けていると、また例のあいつが姿を現した。 千鳥東線 部分廃線区間(川崎区千鳥町)にて
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そしてこの風呂である。 相変わらず何の装置だか皆目見当がつかなかったが、その正体が次の写真で明らかになる。 それにしてもこの日本男子の入浴のイラスト、この装置とミスマッチなのに何故か好き……(笑) 千鳥東線 部分廃線区間(川崎区千鳥町)にて
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蒸気配管運転中につき「ゆげ」がでています この貼り紙でようやくこの装置と見覚えのない配管の理由がはっきりした。 それにしても「(湯気!=蒸気!!=無害!!!)」の文言を見たときは思わず笑ってしまった。 それにしても、この工事の施工主は、なんと「JFEエンジニアリング」だった。 ……お喋り、というか熱弁が過ぎた。 千鳥東線 部分廃線区間(川崎区千鳥町)にて
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後ろ髪をひかれるような気分で装置を後にすると、 工場の中を撮る気はさらさらないのだが、看守さんに勘違いされるといけないので、死角にて撮影。 東燃石油化学第2踏切:千鳥東線 部分廃線区間(川崎区千鳥町)にて
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その次の踏切は「千鳥ターミナル踏切」である。何が「ターミナル」なのかは判然としない。 これらの一連の装置、実はひょっとして…… ※作者がぶっ飛び始めましたが、あまり気にしないで下さいね……^^; 千鳥東線 部分廃線区間(川崎区千鳥町)にて
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そんなわけ無かった。(あたりまえ 「エココンビナート構想の実現へ、蒸気を送る配管をつくっています」 やはり、配管は蒸気を送るためのものだった。 千鳥町が、明らかに先駆的(と思しき)進化を始めている…… 千鳥東線 部分廃線区間(川崎区千鳥町)にて
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千鳥ターミナル踏切の先には、先述の通り2つの踏切がある。 三菱商事踏切を越えると、もう旧終点に近い。 動輪のオブジェ:千鳥東線 部分廃線区間(川崎区千鳥町)にて
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14:47 (旧終点) 旧終点にたどり着いた。 ここが終点だった時代の写真は、左の写真の上にポインタを乗せることで表示できる。 これにて千鳥東線の調査は終わりだが、レポートはまだ続く。 旧終点:千鳥東線 部分廃線区間(川崎区千鳥町)にて
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3.埠頭の異端児、「流星のDD51」 | 2010年1月3日 川崎市営埠頭(敷地外より) |
14:55 (ちどり公園) 旧終点の更に南には、千鳥町の南にある人工島「東扇島」への自動車専用海底トンネルがある。 このちどり公園は、千鳥線本線の終点である「川崎市営埠頭」に隣接している。 この公園、いつの間にか大量の猫の住処になっていた。 ちどり公園:川崎区千鳥町にて
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相方は初めての千鳥町にかなりテンションが上がっている。 「公園の南端から東扇島を見よう」ということで、相方はどんどん先へと進んでいく。 進行方向右にあった木々が途切れ、埠頭が見えた。 ――鮮やかな、青……? 思わず青の方向を凝視した。すると、予想だにしなかった“異端児”の姿が目に映った。 「おい、DD51いるぞ!!」 | |
「おい、DD51いるぞ!!」 間違いなくその鮮やかな機影は、纏った青色に流星を帯びた、JR北海道色のDD51である。 そのとき私の脳裏には、以前川崎貨物ターミナルに回送されてきた2両のDD51と数量の客車が浮かんでいた。もしこれがあの編成だとするならば、この機関車たちは「輸出待ち」……!? |
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更に別の位置から敷地内を確認すると、客車の姿を捉えることが出来た。 帰宅後の調査で、これらの編成は2009年10月にここに回送されたそうだ。 この埠頭にいる、ということは、暗黙に輸出されることを示している。 ここで、お別れだな。 私と相方は一瞥を投げかけて、そこを後にしたのだった。 |
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ああ、この町の夕暮れって、こんな感じだったっけ。 昔からこんな夕暮れだったろうけど、なんだかちょっぴり切ない気分かもしれない。 |
あとがき
結局埠頭の留置線付近を後にしたのち、一応この日のメインだった「千鳥線貨物列車撮影」に向かいましたが、ウヤでした。
よくよく考えれば不思議なことはなにもありません。だって、まだ三が日だったんですもの。完全に頭から抜け落ちていました(×
さて、三が日早々の鉄活動。しかも京急の行き先変更を目の当たりにしながら、マイナーな専用線の方に足を運ぶという異例の事態。
行き先変更や編成写真にご興味のあられる方々は、さぞかし怪訝な視線でここまでご覧下さったことでしょう^^;
今回のレポートは、途中から妙なテンションになったり、最後には急に落っこちたりしてすみませんでした><
……えー、今回の主なテーマは、「専用線レポートのつもりが(短いながら)まさかの廃線レポートになってしまった千鳥東線」と「異国へ往く機関車・客車たち」でした。
千鳥東線の部分廃線には驚きました。終点の移設があったことを知らずに、現地で直接目にしたので。
とはいえ、千鳥東線単体については私が最初に千鳥町を訪れたころから殆ど機能していなかったので、格別強い惜別の情はありませんが。
寧ろ惜別の情は、あの廃車たちの方が格段と強かったです。
結果論から言えば、今回のメイン格はやはり「廃車たち」だったのではないでしょうか。
千鳥線の終点でもある千鳥町の「川崎市営埠頭」といえば、レポート内で先述の通り車両の輸出を行う場所です。
これまでにも多数の車両が様々な国へと海を越えていきましたが、その直前の姿を埠頭にて生で目撃したのは初めてのことです。
この国からいなくなってしまう、加えて自分が大好きな車両たちであり、その日本での最後の姿を生で見るというのは、本当に一言では言い表せない感情があるものですね(涙
なお、この車両たちはミャンマーへの輸出が決まっているようです。
「治安のあまりよろしくないミャンマーで、彼らはきっちりと第2の人生を歩ませてもらえるのか?」との声が多数ネット上に上がっているようです。
一番心配なのは、過去にもあった「輸入したはいいものの、大した整備がされずボロボロになって結局棄てる」というパターン。
でも私の出来ることは、もう幸せを願うほかありません。
生まれ故郷の日本に別れを告げて、海を越えて第二の人生を歩む車両たちに幸あることを心より祈ります。
そういえば、この「千鳥線シリーズ」にまさかの「Part5」はあるのかしら。
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