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■ まえがき
大 将 軍 駅
――あなたはかつて、これほどまでに力強い駅名を聞いたことがあっただろうか――
世界遺産・姫路城でおなじみの姫路市に、ある種の希少性を持った廃線がある。その名も「姫路モノレール」――国内で総数自体が多くないモノレールの中から廃線となった路線のひとつである。
日本で2例しか採用実績のない「ロッキード式」という希少な様式を採用している特筆性もさることながら、
その人気度の高さを支えているのは途中駅であった、この「大将軍駅」だと言っても過言ではない。
しかし肝心の大将軍駅、何が人を魅了してやまないのかと言えば――
ビルの三階を線路がぶち抜いている。
な、何を言っているのか (ry
当のわたしも、この物件を友人伝手に初めて教わったときはすぐにイメージができなかったが、
なんでもモノレールの軌道が全10階建てのビルの3・4階部分を貫通しており、そのビルの中に駅があるのだという。
しかもそのビルがモノレール軌道ごとほぼ手つかずの状態で残っているというのだ。
い、行きたい……。
なにせ私鉄の自社百貨店ビルの中まで鉄道を通してある例は見たことがあるが、
これをモノレールでやってのけた上に廃線遺構として残っている例というのは今までに遭遇したことがなかったのだ。
友人からこの物件を紹介されてほどなく、わたしは将来の探訪目標としてこの姫路モノレールと大将軍駅をターゲットに加えることとなった。
ロッキード式、残存状況のいい軌道跡、そして魅惑の大将軍駅。
今回はそんな見どころ満載なモノレール廃線、「姫路モノレール」のレポートをお送りする。
◆ 姫路モノレール 概略 ◆
姫路モノレールは、1966年(昭和41年)に姫路市交通局(当時)によって開業した、姫路駅−手柄山駅間わずか 1,630m のモノレール路線である。市内の手柄山(てがらやま)で1966年に開催された「姫路大博覧会」に合わせ、モノレール会場へのアクセス路線として先行開業した区間がその由来だ。最終的には姫路市街と郊外とを、さらにゆくゆくは鳥取とを結ぶ壮大な計画があったものの実現せず、結局「先行開業」区間のみで1974年(昭和49年)の休止まで運転が続けられた。
1979年の正式廃止から35年が経過したが、探訪当時には随所に現存物件が見られた。モノレール姫路駅・道路との交差部分・手柄山駅周辺を除いてはかなり明瞭に軌道跡が残存しているのである。撤去が進んでいない最大の理由はやはり費用で、2014年6月から撤去工事が始まったが完全撤去には時間がかかる見込みだという [*1]。
(※画像は山陽電車手柄駅前の地図を筆者が加工したもの)
なお今回の一連のレポートについては、以降 (1) 姫路モノレールについての解説、(2) 当日の手柄山到着までの足取り、(3) 手柄山駅跡の博物館での見学の様子、(4) 廃線跡踏破・大将軍駅探訪 の4パートに分けてお送りしたい。順次公開をしていくので、「姫路モノレールについてはもう知っている」「大将軍駅がとにかく見たい」という方は下記のリンクからジャンプしていただくことが可能だ。
(1) 姫路モノレールについての解説
(2) 当日の手柄山到着までの足取り
(3) 手柄山駅跡の博物館での見学の様子(※第1回。準備中)
(4) 廃線跡踏破・大将軍駅探訪(※第2回。準備中)
◆ 姫路モノレールについて もうちょっと解説 ◆
以下、姫路モノレールと大きく関係する「廃線の現状について」「『ロッキード式モノレール』とは」「開業の動機と廃止の理由」の3つを簡単にご説明したい。手短にまとめた概略を残しておくのもレポートの意義かなあなんて思うのです。ご覧くださる方々の一助となれば幸いです。
■補足
姫路モノレールの歴史に関する記述は、特記がなければ「手柄山交流ステーション モノレール展示室」の解説を典拠としている。
おいおい姫路市による書籍や新聞記事などの文献にも当たって補強していく予定なので、しばしお待ちいただければ幸いだ。
◇
■ 廃線の現状について(※探訪当時2014年3月現在)
現在モノレール姫路駅は跡地が転用され現存しないが、大将軍駅についてはほぼ手つかずの状態で現存、手柄山駅は姫路市の運営する「手柄山交流ステーション」という姫路モノレールの博物館として活用されている。途中の軌道は姫路駅付近と手柄山駅付近、そして各所の道路との交差部分で撤去されているが、それ以外については2014年3月当時ではかなり良好な状態で残存していた。今回のレポートではまず手柄山駅の博物館を見学し、その後姫路駅へ戻る形で廃線跡をトレースしていく。
なお2015年現在いくらか撤去が進んでいるとのことです [*1]。現状がレポートでの紹介と一致しない可能性が高いため、このレポートをご覧くださり探訪を計画されている方におかれてましては予めご留意をお願いいたします。
■ 「ロッキード式モノレール」とは
姫路モノレールは「跨座(こざ)式」と呼ばれる車体が軌道に跨るタイプのモノレールだったが、中でも全国で2例しか採用されなかった「ロッキード式」という珍しい種類だった。鉄製の車輪に鉄製のレールを使用するのが特徴(※詳細は「第1回」で後述予定)で、姫路モノレール以外には神奈川県の小田急向ヶ丘遊園モノレールでしか採用実績がない。その希少性ゆえ部品の調達・修繕が困難か高コストであり、小田急のモノレールはこれが致命的一因となって姿を消すこととなった。さらに小田急のモノレール車両は現存しないため、姫路モノレールは恐らく全国で唯一ロッキード式車両が現存し、それを間近で見学できるという意義深い場所ともなっている。
■ 開業の動機と廃止の理由
姫路モノレールの開業は日本四大公害が発生した1960年代半ば、1966年のことだ。姫路市は自動車社会が引き起こす交通渋滞等の社会問題を早くから懸念し、その解消手段としてモノレールを採用したという。先に軽く触れたとおり将来的には姫路市街と郊外(南部の播磨工業地帯など)とを結ぶ計画だったが、1966年に開催された姫路大博覧会に合わせて姫路駅から会場の手柄山までが先行開業し、結局それ以降の延伸は叶わず最終的な姫路モノレールの形が完成した。ゆくゆくは鳥取まで高速運転で結ぶことも計画されており、高速運転に適したロッキード式モノレールの採用はこれを念頭に置いたものかもしれない。実際に姫路モノレールは設計上は最高速度 120km/h での走行が可能だった(営業時の最高速度は半分以下の 50km/h )。
開業年度こそ約40万人の利用者があったが、2年後の1968年(昭和43年)度には約24万5千人にまで減少。この年には大将軍駅が早くも休止となった。モノレールの運賃は100円だったが、競合相手のバスや山陽電車の当時の運賃が20円だったといい、モノレール運賃が突出して高額だったことがうかがえる [*2]。最終的に「利用者数の減少」を理由として1974年(昭和49年)に営業休止、1979年(昭和54年)1月26日に正式廃止となった。営業期間はわずかに8年に留まったことになる。
◇
以上、長い解説にお付き合いくださりありがとうございました。
レポートをご覧いただく際に頭に入ってきやすくなるよう心掛けたつもりですので、お役立ていただければ幸いです。
さて、筆者のわたし、実は2013年8月にも大将軍駅を訪問したことがあります。
その時も旅行中で鉄道好きの友人が同伴していましたが、乗り継ぎに支障が出ない範囲の時間しか使えなかったため、
当時の調査は大将軍駅と姫路駅付近のわずかな痕跡に留まっています。
今回はその際の未踏破区間である手柄山駅の探訪と、手柄山から姫路までの全線トレースを目標に調査を行いました。
当レポートについては、せっかくなので旅行記を兼ねて手柄山駅に至る道のりから書きはじめたいと思います。
いきなり手柄山から読み進めたい方におかれましては、「第1回:手柄山交流ステーション」(準備中)までジャンプしていただければ幸いです。
大変長らくお待たせいたしました。
「姫路市交通局 姫路モノレール」レポート、はじまります!
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2014/03/14 9:05(JR新大阪駅 在来線ホーム) 姫路モノレールを探訪した2014年3月14日は関西旅行の2日目であった。 新大阪でまず遭遇したのは、恐らく381系による特急「こうのとり」。 |
9:45 ごろ(JR三ノ宮駅コンコース) 新快速の快適さは初めての関西旅行となった2013年8月に体感済みだ。 |
姫路着は10時半ごろ。この日は姫路モノレール履修だけでなく姫路城訪問や神戸ポートアイランド地区の散策を一気に行おうとしていたため、若干気持ちが逸り気味だった。写真にも撮り漏らし・アングルの選択ミスなどが多分にあり、レポートを執筆しながら大いに反省しているところである……。 ホームでは播但線103系が発車を待っていた。他にも特急「はまかぜ」に充当されているキハ189系に初めて遭遇するなど、初訪問となった姫路ではさっそくいろんな車両との出会いがあった。 |
姫路駅北口は再整備中であった。将来姫路城を再訪しにまた訪れることがあると思うが、その時にはどんな景色が見えるのだろう。 さて、ここで探索の順番を確認しておきたい。 というわけで、まずは手柄山駅跡の最寄となる山陽電車・手柄駅まで列車で移動することに。山陽姫路駅のある、写真奥・山陽電車のビルに向けて進む。 |
細々した通路を通ったので迷わないか心配になったが、案内表示もしっかりしていて道を失うことなく山陽姫路駅に到着。 写真は阪神電鉄線への直通特急:阪神梅田行き。 直通特急は下車予定の手柄駅を通過するので、この列車は見送り。写真右にちらりと写りこんでいる普通列車に乗って手柄駅を目指す。 |
せ、せんとくんさん…… 乗降に使用されず物置場と化している1番線に見慣れた姿を発見。当初そっくりさんかとも思ったのだが、レポート執筆に際してよく拡大してみると「せんとくん」の名前が入っており、公式の人形であることが判明。 なぜ奈良から離れた姫路の地にいるのかは不明だが、恐らく私鉄の相互直通を介して奈良へのキャンペーンを打っていたことがあるのだろう。 |
山陽姫路駅を出ると、ほどなく左手(南側)に不可思議な建造物が見えてくる。 山陽電車はこの後写真奥に見える山陽本線の高架をくぐり、手柄駅へ向かう。 |
10:57(手柄駅) 数分で手柄駅に到着。姫路駅前から若干離れたこともあり、穏やかな住宅地という印象を受けた。 |
対向にやってきたこの車両は3000系というらしい。ホーム長ギリギリに止まっているのでホームでの撮影はこれが限界だった。 余談だが、「手柄」のアクセントは「てがら」と「ら」まで高くせず、「てがら」と「が」だけ高く読むようだ。山陽電車のアナウンスで聞いて意外に思った。が、他の情報源に当たったわけではないので、鉄道員特有の「わざとアクセントを外した発音」という可能性も……?(←「高槻」で経験済み) |
手柄駅前には周辺地図が設置されており、これは当日役立ったどころか、後日「廃線跡記入」という予想外の使い方でも大いに役立ってくれた。ちなみに図左側の赤い線は筆者が記入したモノレール線。方位表記はトリミング時にフレーム外になってしまったので筆者による参考レベルの付記だ。 目指す手柄山駅跡のある手柄山(地図下部の緑で示された部分)は、手柄駅から直線距離で 300〜400m 程度しかない。徒歩でもそう時間はかからないはずだし、モノレール運行当時から山陽電車が競合相手のひとつであったと考えても差し支えないだろう。 |
手柄山の方へと踏切を渡ると、踏切脇に遊歩道が続いていた。 ※手柄山のある西の方角は写真右側。左側の線路は山陽電車で写真奥が飾磨駅方面。 |
すぐ脇に「姫路市中央卸売市場」があったのも、現地でこの用地を廃線跡だと考えた理由のひとつだった。 残念ながら飾磨港線については下調べを全くしていなかったため、この市場内部にあるはずの廃線用地と「姫路市場駅」跡、そして遊歩道の行きつく先については未調査である。飾磨港線と併せて再訪したい場所のひとつとなった。 |
11:20 ごろ(手柄山中央公園入口) 途中姫路に住んでいる先輩に「お邪魔しています」などと連絡(?)を入れつつ、11時20分ごろ、手柄山駅のあった手柄山中央公園に到着。ここは単なる公園ではなく、遊園地や水族館に、陸上競技場やフラワーガーデン、資料館なども一所に凝縮されている公園だ。夏期にはプールも開放されているという。手柄駅から寄り道せずに歩けば10分程度の距離しかないだろう。 手柄山駅の跡地は現在「手柄山交流ステーション」の一部として再利用され、モノレールの展示場として活用されている。今回最初の目標はその展示場だ。 |
次回、手柄山交流ステーションで保存車両と邂逅!
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■ 脚注
[*1] a b 「【関西の議論】世界遺産都市「姫路」が処理できない“負の遺産”…高度経済成長の夢の跡、廃線「モノレール」軌道が撤去されぬ理由」(2014年6月1日付)、産経新聞社。2015年5月29日閲覧。
[*2] 佐々木勝 「早すぎた未来の乗り物「姫路モノレール」」、『Civil Engineering Consultant』第258巻、建設コンサルト協会。2015年5月29日閲覧。
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最終更新:2015年5月29日