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Dolphin Express Report
姫路市交通局 姫路モノレール その1 「手柄山駅跡」
8年間姫路の上空を駆け抜けた列車が余生を送る場所へと足を踏み入れる
2014年3月14日 調査、2015年6月6日 執筆


> Top > Report > 姫路市交通局 姫路モノレール 導入 > その1 (現在地)

まえがき

1966年(昭和41年)からわずか8年の間だけ運行していた、兵庫県姫路市の「姫路モノレール」。
今回はその終着駅「手柄山駅」の跡地にある「モノレール展示室」と、その周囲の痕跡についてお送りする。
導入となる前回は姫路モノレールの概略をご紹介したが、今回もまずは姫路モノレールについて簡単におさらいしたい。

■ おさらい
姫路モノレールは1966年(昭和41年)に当時の姫路市交通局によって開業した、営業全長わずかに約1.6kmのモノレール路線だ。
姫路市街と郊外南部の播磨工業地帯を結ぶことも念頭に、取り急ぎ1966年に手柄山で開催される姫路大博覧会に合わせて姫路駅−大将軍駅−手柄山駅(大博覧会会場最寄)の3駅を先行開業させたのが始まりだ。ちなみに郊外への延伸計画は頓挫している。
全国でも2例しか採用されなかった「ロッキード式」という希少な様式のモノレールだったが、大博覧会終了後は手柄山にある遊園地程度しか需要がなく利用者は減少、1974年(昭和49年)に早々と休止されてしまい、最終的に1979年(昭和54年)に廃止となった。

しかし廃止後35年が経過した2014年3月当時ではかなりの遺構が遺されており、中でもビルの3・4階部分にモノレールを貫通させて駅を作った「大将軍駅」の姿は圧巻だ。ただ、2015年に入ってから軌道の撤去が進んでいるという話も聞くし、ついに大将軍駅の撤去も決まったようなので、探訪は早めに済ませるに越したことはなさそうだ。


姫路モノレールを落とし込んだ地図画像(復習)  姫路モノレールの探索にあたり、今回は図右下の旧「手柄山駅」を活用した「モノレール展示室」の見学から始めることとした。実は姫路駅−大将軍駅間については前年8月に実踏済みであったことが理由のひとつだ。未実踏の大将軍駅−手柄山駅間の調査さえ先に済ませておけば、万一予定や体調が変わっても後憂少なく切り上げられるという算段だった。また今まで行ったことのない土地に向けて歩くよりも、過去に歩いたことのある土地へ向けて歩く方が廃線跡をロストしにくいだろうというのも大きな理由であった。
 そこでわたしは山陽姫路駅から一駅だけ列車に乗り、手柄山駅跡最寄りの手柄駅で下車。そののち「モノレール展示室」のある「手柄山中央公園」にたどり着いたところまでが前回のレポートだ。
今回は地図右下の「手柄山駅」跡地を利用した「モノレール展示室」を見学、静態保存車両や往年の運行状況、現存する車両部品・施設部品などをレポートする。

大変長らくお待たせいたしました。
「姫路市交通局 姫路モノレール その1」レポート、はじまります!

※ 今回も例にもれず、レポート中の赤枠で囲われた画像はカーソルを乗せることで別の写真が表示されます ※

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モノレール展示室の入口に展示されているモノレールの台車(ロッキード式)

2014/03/14 11:30 (「モノレール展示室」エントランス付近)

前回のレポートの終わりで掲載した公園案内板の辺りから展示室を目指すが、「手柄山」というだけあっていきなり上り坂の歓待にあずかった。断続的に100mほど続く階段を上ったが、近くには花壇もあり開放的なうえに、まだ3月ということもあって夏ほど不快な暑さはなく、ちょっとしたお散歩気分を味わえた。

階段を上りきると見えてくるのが目的地の「手柄山交流ステーション モノレール展示室」だ。
展示館の入口で来訪者を出迎えるのは、かつて使用されていたモノレール車両の台車であった。

台車とロッキード式全般に関する説明書きがある

台車の足元に説明板が置かれていたのでさっそく読む。台車重量や出力といった諸元だけでなく、ロッキード式の仕組みも図とともに紹介されている。
後述するが、ロッキード式モノレールはここ姫路モノレールと神奈川県の小田急向ヶ丘遊園モノレールでしか採用されなかった。実物を前にした解説が存在すること自体、学習面で大いに意義があることと思う。

さて、そんなロッキード式の解説資料、このまま「ふーん」で終わらせるのはもったいない。弊サイトではこの説明板の内容から仕組みに関する部分を取り出して、台車実物の写真に重ねる形でロッキード式の仕組みについてご紹介したいと思う。その説明画像が次の写真だ。


ロッキード式の機構に関する説明画像

現地の解説板の説明を反映したのが上記の画像だ。マウスを乗せると説明のない元画像が表示できる。
外側から見える車輪はすべて補助車輪だ。メインとなる「駆動輪」は写真上部、「上部安定車輪」の奥に隠れており、画面右側に拡大した「走行用レール」の上を走行する。走行の際は各補助車輪が姿勢保持に役立つ。「第三軌条」は架線の代わりとして機能し、ここから「集電機」によって電気を取り入れる。

日本で2例しか採用されなかったロッキード式の特徴は、鉄製のレールの上を鉄製の車輪で走ることにある。強度のある鉄輪を使用しているため車輪が小型化でき、その分だけ車高を抑え重心も安定させることができた。さらにロッキード式は重心の低さも相まって高速運転に優れており、姫路モノレールも設計上は 120km/h での走行が可能だったほどだ。しかし鉄製の軌道・車輪であるがために騒音は大きく、また開発元の「日本ロッキード社」が早期に解散してしまったため部品調達が困難であった。事実向ヶ丘遊園モノレールは部品の希少性から来る高額な修繕費見積もりがトドメとなり、採算が合わなくなったことから廃止されている。

※ ちなみに、軌道に跨って走るタイプのモノレールを「跨座(こざ)式」と呼ぶ (対義語は軌道にぶら下がるタイプの「懸垂(けんすい)式」)。ロッキード式もこの一種だが、跨座式のほとんどを占める主流はコンクリート製の軌道の上をゴム製タイヤで走行するタイプだ。騒音は比較的少ないが、車体を支えるだけの強度を保つためにタイヤを大型化しなければならない。大型なタイヤを収めるためには車体を高くするか、車両の中にでっぱりを作ってそこに収めるしかなく、これは「駅で万一軌道に転落したときに車高の分だけ落差が大きいため怪我をしやすい」「車内に通れない場所ができバリアフリーではない」といったデメリットにつながってくる。

日本でたった2例しか採用されなかったロッキード式モノレール。
そのうち向ヶ丘遊園モノレールは車両が現存せず、実際の台車を見ながら理解できる場所は恐らく全国でここだけだ。
こういった施設を無料で開放してくれる上に解説まで用意してくれるのだから、感謝の念に尽きない。


手柄山駅時代のプラットホームをそのまま活用した展示施設

それではロッキード式の解説もそこそこに入館する。まさかの無料だが、寸志程度であっても払わせてほしいくらいに力の入った展示を見学できる。感謝。

館内に入ってすぐ、手柄山駅時代のプラットホームを活用した展示施設が広がっていた。写真は姫路方を臨む。
展示されている車両は200型系201・202の2両。往年は3両編成で運行されていたといい、写真では手前の位置で線路が途切れているが、かつてはフレーム外手前まで線路が全通し3両編成に対応していた。

なお、ホーム長は約66mという説明書きがあった。姫路モノレールの車両は車長が15mで設計されているので、当時所属していた4両すべてを収めようと思えば収められる計算になる。

姫路モノレール100型の廃車部品

姫路モノレールには静態保存されているこの2両に加え、100型101・102の2両の計4両が在籍していた。100型は2両とも解体済みで現存しない。
公園側の入口あたりで待っていたのはその100型の車体部品だ。

姫路モノレール100型の運転台

100型の運転台。この後ご紹介する200型の運転台と大きな差異はないように見える。製造時期も大きく変わらないはずなので、当然と言えば当然か。

姫路モノレール200型201の車内。ボックスリートを基本とする

2両の保存車のうち201については車内に入ることができるので、さっそく乗車して体感してみる。

車内は4人掛けボックスシートを基本とし、運転台すぐ後ろの座席のみ運転台方向に2人掛けの座席を配した様式になっている。通路を挟んで左右の列にそれぞれ、4人掛けボックス部分が4つ、運転台すぐ後ろの2人掛け座席が両エンドに1つずつ。定員は108名、着席定員は40名だ。

100型と200型の大きな違いは、前者が片運転台、後者が両運転台であることで、これに起因して自重と定員にも若干の違いがあるがそれ以外の諸元に大きな差異はない。

手入れの行き届いた車内

展示車両というだけあって手入れが行き届いており、運転台の状態も素人目にはよさげに見える。
この部分だけ見れば、きちんとお手入れしてあげればまた動き出しそうだ。
(もちろん足回り等の問題でそれは叶わないだろうけれども……)

おでこにうっすら書いてある「201」の名前がかわいらしい。

遊園地という非日常へいざなうにふさわしい車内

姫路大博覧会を念頭に開業させた路線というのにふさわしく、座席のモケットも品がいい。座り心地もふわふわだ。
両開きのカーテンは、色合いにも両開きという様式そのものにも味がある。

手柄山には遊園地もあるが、遊園地という非日常へいざなうにふさわしい解放感と品のよさにあふれた車内と感じた。

姫路モノレールの行先表示(サボ)

車内では運転台付近に設けられたディスプレイで運行当時の貴重な映像が繰り返し放送されていた。快適な座席で映像をひとしきり堪能してから、次は車体を攻めることに。

写真は行先掲示用サイドボード。文字はペンキ等で書いてあるのではなくプラ板のようなものを貼ってある。
カッターナイフで切り貼りしたような味のあるフォントだ。
……もしかすると本当に手で切り貼りしていたのかもしれない……。
(「駅」の「尺」の部分が左右でちょっとずつ違うぞ……)

マネキンが哀愁を感じさせる

202の車内からホームを見つめる一家を模したマネキン。
時を止めた車内で、家族もその笑顔も永遠を生きている。

姫路モノレール200型201号の姫路側エンドを臨む

201号の姫路側エンドを撮影。
鉄道車両よりもレールバス系の車両に似た顔立ちをしている。
青を基調に窓枠の高さに合わせた太い白帯を巻いた配色デザインはかなり洒落っ気があると思う。これが街の中空を横切っていたのだからきっと見映えもよかっただろう。

「祝開業」のヘッドマークが遺されているのも貴重だと思う。
開業時の喝采とにぎわいとが目に浮かぶようだ。

せっかくのロッキード式なのだから縦アングルにして足元も写すべきだったのだが……うむむ……

モノレール車体とロッキード式の特徴「鉄製走行用レール」

下から仰いでみる。駆動輪は連結器の奥に隠れて見えないが、その駆動輪が乗る「走行用レール」はバッチリ写っている。

あ、圧巻……!

軌道の高さから見学

ホーム階から1層下りると軌道の高さから車両や台車を見学することもできる。
くどいようだが、ここは恐らく日本で唯一ロッキード式の構造を実車で見学できる施設だ。車体と軌道両方が揃っているだけに運行当時をイメージしやすい。

見学当時はそれらのことをあまり意識していなかったので、もっとじっくり見学してくればよかったと今さらながらに後悔。

旧線に寄り添う県道もカーブ

ズームした写真も載せておく。

ちなみに、昨年(2014年)10月に開催された「姫路モノレールツアー」では、廃線跡や大将軍駅を探訪したのち、普段は立ち入ることのできないこの車両の脇も入ることができたと、ツアーに参加された方のお話をtwitterで伺った。台車を側面からみられる貴重な機会だったであろう。
わたしは足回りにはさほど興味もなく知識もからっきしだったのだが、こうしてレポートを書いているうちにうらやましくなってきた(笑)

手柄山駅 駅名標

さて、車体の写真もそこそこに、今度は車体以外の設備にも目を向けたい。

わたしが入ってきた公園側の入口すぐのところには手柄山駅の駅名標が展示されている。デザインは非常にシンプルだが、独特のフォント、そしてプラ板(?)貼り付けならではの味がある。

個人的には大将軍駅のローマ字表記の「しょう」の部分が「SYO」になっているのに目が留まる。(現在のJR式であれば DAISHOGUN であるはずだ)

駅名標はもうひとつあった

駅名標はもうひとつ展示されていた。
フォントは上掲のものと統一されているようだ。

1枚目の駅名標が展示されている公園側入口には、壁を利用して当時の構内設計図が掲出されていた。この場所はちょうどホーム右端にある「運転司令室」があった場所だという。(画像にカーソルを乗せていただくと対応関係を表示できる)

また、写真右端あたりには分岐器が描かれている。この分岐器はレポート冒頭でご紹介した台車が展示されていた場所にあり、姫路モノレール唯一の分岐器であった。そこから伸びる線路があるが、その線路が検車線であったという。現在その敷地は車両の脇にある壁の向こうにあたり、水族館の一部として転用されている。

ちなみに「プラットホーム」の文字が書かれているあたりは、姫路モノレールをはじめとした市内交通に関する展示スペースになっている。

恐らく現役時代からのものと思われる電照広告

現役時代からのものと思われる電照広告もそのままホームに残されている。
須磨浦ロープウェイは1957年(昭和32年)開業で、現在は山陽電気鉄道の子会社として運営されている。その名の通り神戸市須磨区に位置し、山麓にあたる須磨浦公園駅で山陽電鉄本線に接続している。

なお、「カーレーター」という耳馴れない語が見えるが、これは旅客を乗せた屋根のない車をベルトコンベアーで運ぶ自動移動設備で、斜面で用いられることが多いらしい。須磨浦においてはカート風の車両を使ってロープウェイの山頂側駅と展望施設とを結んでいるらしく、日本の観光地にあるカーレーターとしては数少ない現役現存例だそうだ。公式サイトによると 「乗り心地の悪さ」が評判 だとか……笑。

他にも2つの電照広告が

電照広告は須磨浦ロープウェイ以外にもあとふたつ展示されていた。

ロープウェイのひとつ奥、真ん中の看板には「渡辺大福堂」とある。現在も姫路城の少し北に店舗を構えているようだ。地図サイトを開く

一番奥は「灘菊」という地酒の看板だ。「灘菊酒造株式会社」は1910年(明治43年)創業の老舗(京阪天満橋駅とは同い年、東京駅よりも4歳先輩だ!)。前回のレポートでわたしが下車した山陽電車の手柄駅あたりにある。

運行当時も、こうして電照看板の下で列車を待つ人々の姿があったのだろう。

姫路モノレールの標準発車時刻表

標準発車時刻表も残されていた。開業から休止までの8年間の折り返し地点となる、1970年(昭和45年)10月1日のダイヤ改正後の時刻だ。

ご覧の通り列車は9時〜17時台のみであり、また「休日ダイヤ」の設定があることからも、手柄山遊園の開園時間に合わせた運行であったことがうかがえる。いわゆる通勤ラッシュ時間には列車の設定がなく、これではとても行楽以外には使えなかっただろう。10月から3月の間は、日暮れが早いからか終電車が1時間繰り上げになっているのもおもしろい。
もしも臨海部の播磨工業地帯までの延伸が叶っていたら、もっと朝早く・夕方遅くの運転も実現していたのだろうか。
需要があるから列車が増えるのか、列車があるから需要が増えるのか。……「卵が先か、ニワトリが先か」、という気もする。

かつての市交通局のバス方向幕

このフロアには車体や駅施設の部品・備品等が展示されていたのだが、写真を撮影していない。単純に興奮で見落としたか、見ていたのに撮らなかったのか……

写真はかつて市交バスで使われていた方向幕。カット幕を後ろから照らしたものだと思っていたのだが、実はちゃんと巻き取り機にロールの状態でセットされていて、一定時間で幕が回るそうだ。実際に他の幕が出ている写真もインターネットで見られる。

■ ひとりごと

ここ3年レポートを書いてこなかったので、旅行に行ったときの写真も「レポートを書こう」という意識で撮影していないな、と反省する。
この写真があればいいな……と思う部分の写真が足りなかったり、アングルが理想的でなかったりするのだ。
先述の通り展示品や紹介もまだまだあったはずなのだが、それを撮っていないのもよく分からない。
一日にいくつもの予定を詰め込むと、こういうわけのわからないミスの原因になることを痛感した。

ブランクがあってもある程度書けるだろうとタカをくくっていた節があるが、ブランクは文章よりも写真に現れるといういい経験になった。
「レポートを書くための写真を撮る」という意識を持たなければいけないことを再確認した次第……。

かつて外界への出入口にあたる自動ドアには当時を再現するペイントが

ところで、展示車両は姫路側でこのような窓に面している。
窓にモノレールの前面が描かれているのがお分かりいただけるだろうか。
実はこの窓、現在でこそ人間の出入口になっているが、かつてはこの建物、手柄山駅と外界とをつなぐ場所だったのだ。。
そしてこの車両の絵は、当時車両が走行した位置を再現してるのだという。

となればもちろん軌道の位置も再現……されている。自動ドアの部分にちゃんと描かれていて、この写真もその姿を捉えているのだが、なにせ車両の図を撮るほうばかりに集中していてすっかり見落としており下部分が若干フレームアウトしている。……う、うがーーー!!!

かつてモノレールが通った出入口から退出

当時の自分が何を思っていたかさっぱり思い出せないのだが、未撮影の部分を残したまま展示室を後にした。うーむ、再調査が必要だ……。

自動ドアを出たところが、この写真真ん中の屋根がかかっている部分だ。
ご覧の通り、かつて車両出入口であったアーチ部分は建物から浮いており、そこにアクセスする通路は後付してあることが分かる。
廃線跡は写真右に延びている通路と同方向に進んでいたのだが、残念ながらその通路、水族館からの退出専用で、写真では見づらいがゲートも完備されていて立ち入りができない。わたしがいるのは有無を言わさず送り出しされた出入口用通路だ。

手柄山駅付近の軌道跡は完全に撤去されて現存しない

さて、往年のモノレールはこのアーチ部分から外に飛び出していたのだが、現在はというと手柄山駅付近の遺構はほとんどが撤去され現存していない。この写真はひとつ上の写真の位置から右(北の方角)を向いたものだ。

往年の航空写真を見ると、軌道はこの写真の左側、亀や魚の描かれた青い屋根の上をすれすれで超え、左側の黒いネットが掛かった建物(水族館施設)と右側の立体駐車場との間を抜け、さらに画像右奥の黄色い丸で囲った建物のすぐ手前で斜めに方向を変えていたようだ。

【別窓で大きなサイズの画像を開く】

1975年・1967年の空中写真

画像は1975年1月の空中写真。(※クリックで拡大可能)
カーソルを乗せると開業直後の1967年9月の空中写真に切り替わる。
写真右上から左下へかけて延びているのがモノレール軌道だ。

モノレールが写真上段中央でかすめている建物が、上の写真で四角形で囲った建物(姫路市文化センター)。モノレール開通直後の1967年の空中写真ではまだ建物の姿はなく、建物の方が軌道の角度に合わせて作られていることが分かる。

【出典】 画像はいずれも国土地理院の航空写真を筆者が加工したもの。
■ 1枚目 …… 1975年撮影、CKK7411-C2-29 ■ 2枚目 …… 1967年撮影、KK678Y-C41-7

2014年現在の姫路市文化センター。やはり角を折ったような形をしている

先ほどの白い建物(姫路市文化センター)を拡大してみると、建物が長方形ではなく角を折ったようになっているのが分かる。ちょうどこのたもとが軌道跡であったことをうかがわせる。ぜひ空中写真とも比較してみてほしい。

軌道桁跡らしきものが残っているが……

また、画像中丸で囲った部分(水族館施設の南側)を拡大してみると、なにやらコンクリートの塊らしきものが見える。空中写真や軌道撤去前の古い写真と比較すると大体この辺りを軌道が通過しており、これが「軌道桁の土台」ではないかという仮説を立てた。
このとき撮影した写真だけでは遠近感や高低感がつかめず、また何の変哲もない外見のコンクリート塊であることから、これが軌道跡であるという断定はできない。単に水族館施設の一部という可能性もある。これからモノレール展示室を訪ねる方は、館内だけでなくぜひこの部分も試しに目を向けてみてほしい。ちなみにこの右奥にももうひとつ残っているようにも見える。

手柄山のふもとから手柄山駅を振り返る

12:00 (姫路市文化センター前)

展示室を後にし手柄山から下り、姫路市文化センター前までやってきた。
写真奥のアーチから出てきたモノレール軌道はすぐ下にある青い屋根を跨ぎ、画面左の立体駐車場の右脇を通り抜け、わたしが写真を撮ったこの位置の方まで北進してきた。
探訪当時はこの位置付近が廃線跡ということを知らなかったのだが、現場ではそれらしき遺構は目に入らなかったと記憶する。

次回はここからさらに北上、ついに廃線跡のトレースに入る。

手柄山駅跡にあるモノレール展示室についてのレポートは以上だ。
しかし何度か弁解(×)した通り、展示物の中で撮影をしないままで終わってしまったものも複数ある。
このレポートでは撮影済みの展示物について自らの感想を述べながら分かりやすく解説したつもりだが、「百聞は一見にしかず」。
ご覧くださった方はぜひこのレポートがすべてとは思わず、関西や姫路へ向かう機会があれば現地を訪ねてみてほしい。
あなたのアンテナにしか引っかからない何かがあるかもしれないし、姫路市の展示に対する力の入れ具合も実感できるはずだ。
姫路城を訪れる際に1〜2時間程度時間を割けば、ちょうど観光ルートに組み入れられるだろう。

大将軍駅 近景

次回、軌道の果てに、ついに大将軍駅との邂逅を果たす!

◇ 第2回へすすむ ◇
(準備中)

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最終更新:2015年6月6日


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