> Top > Report > 【ミニレポ】 川崎市 「川崎港海底トンネル」(現在地)
■ まえがき
弊サイトではもはやおなじみの「川崎区千鳥町」(神奈川県川崎市)。
レポートでもたびたび取り上げてきたこの人工島に、一本の海底トンネルが走っている。
その名も「川崎港海底トンネル」。千鳥町の南部、運河を隔てた先にある「東扇島」まで続いているトンネルだ。
2回目の千鳥線探訪レポートでは千鳥町側の歩行者入口まで到達したが、距離の長さゆえに踏破は見合わせていた。
しかし2011年1月、友人・先輩らと東扇島に夜景を見に行くこととなり、ついにこの海底トンネルを踏破する好機が巡ってきた。
最初の邂逅ですでに不気味さを思い知っているこのトンネル。ミニレポートの形でお届けする。
◆ 川崎港海底トンネル 概略 ◆
【図1】 「川崎港の埋立状況」。「川崎市:川崎港の歴史〜江戸時代から続く埋立ての大成〜」(2013年2月25日付、川崎市)から引用。2015年5月30日閲覧。
せっかくなので川崎港海底トンネルの歴史をご説明しようと思うのだが、その前にはトンネルがつなぐ2つの人工島についての説明が不可欠なのでこちらを先にご紹介したい。少し長いので急がれる方はジャンプ。
京浜工業地帯の一角をなす川崎市臨海部。古くは江戸時代中期から新田開発が行われてきたが、工業地帯としての埋め立てが本格化するのは1908年(明治41年)以降。JR鶴見線の浅野駅に名を残す浅野総一郎が、同じく同線安善駅に名を残す安田善次郎、そして澁澤栄一らと埋立組合を結成したのが大きな節目となった。
川崎港海底トンネルの両端はそれぞれ「千鳥町」「東扇島」という埋立によって生まれた人工島だ。各人工島についても説明したい。
千鳥町はまず現在の西部に当たる部分が神奈川県によって1937年(昭和12年)から1943年(昭和18年)に、次いで東部が川崎市によって1953年(昭和28年)から1964年(昭和39年)に埋め立てられ、現在の形として完成した。のべ埋立面積は193万8133m2だ。最初に完成した西部には千鳥線の走る市営埠頭があるが、これは戦後の食糧難の時期に食糧や肥料を輸入する玄関口として造成された経緯がある。
埋立の歴史は川崎市によるウェブページ「川崎市:川崎港の歴史〜江戸時代から続く埋立ての大成〜」(2013年2月25日付、川崎市)を参考にした(2015年5月30日閲覧)。
千鳥町、東扇島以外にも神奈川臨海鉄道でおなじみの水江町や浮島町のデータもあるので、ご興味のある方はぜひ原典にも当たっていただきたい。
本題、川崎港海底トンネルの歴史に移る。
川崎港海底トンネルは先述の東扇島の埋立に際し、そのアクセス手段として同じく1972年(昭和47年)に建設が開始された。海底部を当時の運輸省(現:国土交通省)第二港湾建設局が、地上部を川崎市が担当して建設され、7年後の1979年(昭和54年)11月に完成した。東扇島の北部(東側を除く)は1975年(昭和50年)にすでに完成していたから若干間に合わなかったことになるが、北部の東側が完成した1979年(昭和54年)とは時期を同じくしている。
トンネルは海底をシールドで掘り進めていくシールド工法ではなく、あらかじめ海底に溝を掘っておきそこに完成済みのトンネルを埋める「沈埋工法」で作られた沈埋トンネルという様式だそうだ。
トンネルの歴史・工法は「川崎港海底トンネル」(「直轄施工事100年のあゆみ【川崎港】」、国土交通省 地方整備局 京浜港湾事務所)を参考にした(2015年5月30日閲覧)。
歴史に関する長い説明はこれにて終了だが、最後に一つ重要なことをお伝えしたい。
このトンネル最大の意義は、「東扇島と他の地区とを結ぶ唯一の一般道」であるということだ。
東扇島は首都高速湾岸線によって西側で扇島、東側で浮島、さらに工場専用道で北側の水江町と接続しているが、それ以外に外界とアクセスする道路は、この「川崎港海底トンネル」をおいてほかに存在しないという、極めて重要な意義を担っているトンネルでもあるのだ。
このトンネルは、自動車専用トンネルとそれに付随する歩行者専用トンネルから成る。
今回のレポートでは歩行者専用トンネルにアタックだ。
それでは、「『独りでは行きたくない』川崎港海底トンネル」ミニレポート、はじめさせていただきます!
レポート中の赤枠で囲われた画像はカーソルを乗せることで別の写真が表示されます
18:35(東扇島東公園@川崎区東扇島) 川崎駅からは市バスで東扇島入り。これまで千鳥町探訪はいずれも徒歩だったため、実はバスでの通過は初めてだ。一足先に海底トンネルを堪能する。といっても友人や先輩と会話をしていたため、「トンネルだなー」「あの海底トンネルを通ってるんだなー」程度のものだったのだが……。 東扇島には公園が整備されており、今回は東扇島東公園(西公園もある)で夜景を堪能。1月の日没は早く、18時台にして川崎の人工島は既に宵闇に包まれていた。逆を言えば夜の訪れの早い冬は夜景撮影には格好の時期とも言える。 ……一眼レフ用の三脚を買わねばなるまい……。 |
19:35 ごろ(川崎港海底トンネル 東扇島側出入口) 1時間程度夜景を堪能したところで、総員で川崎港海底トンネルへ入洞。 地上入口を入ると階段になっており、この先折り返したところで自動ドアがある。 |
自動扉の先はやや長い下り階段になっている(※写真は扉側を振り返った)。 今回は複数人での通行だが、工業地帯のトンネルということもあり普段の通行者はめったにいない。すれ違ってもせいぜい2、3人のレベルだと思うので、この先千鳥町側出口までの約1kmをほぼ独りで歩かなければいけないことになる。 写真の通り格段に暗いというわけではないのだが、観光トンネルではないのでこれといった装飾もなく、無味乾燥とした変化に乏しい通路が続くため孤独感が増す。そこに自転車は降りて通行するように告げる、これまた温かみに乏しい自動放送が延々と繰り返されるからなおさら独りでは歩きたくない。 |
19:41(310m地点) トンネルの歩行者用通路は自動車専用道のすぐ脇にあり、トンネル内での有事の際の避難通路を兼ねている。 わたしが入ってきた東扇島側の出入口まで310m、これから出ることになる千鳥町側の出入り口まで690mとある。ということは、この川崎港海底トンネルは全長約1km程度ということだろう。 |
こんな通路が約1kmに渡って続くのである。 それでもときどき反対側から自転車を押した人やジョギング中の人が現れるから、意外とこの通路は面白い。 なお、写真で見る限りはだいぶ傾斜がある。実はもう千鳥町側の出入口付近まで来ていて、写真は東扇島側を振り返ったものだ。トンネル内は下がるところまで下がれば平坦になるのだが、もちろん階段にかけての付近は傾斜がついているので歩きごたえはある。 |
19:52(川崎港海底トンネル 千鳥町側出入口付近) 「調査中」とだけ書かれた貼り紙があった。 もー、やめてくれよなー。今回は同伴者がいたからいいけど、独りきりで来てたらこの貼り紙も立派な恐怖物件だぜー。こういう脈絡の分からないものがいちばん怖いんだよー、薄気味悪い夢みたいでさー……笑 |
突 破 完 了 。 突破時の写真もメモもなく正確な時間は不明だが、上掲の写真の撮影時刻から恐らく19:55ごろには地上に出たのではないかと推測。東扇島側から約20分で踏破できた。 ちなみに、写真は2007年3月の日中に訪問した際の千鳥町側出入口。 |
20:20(千鳥線:西側群線) この後一行は神奈川臨海鉄道・千鳥線の西側群線に。 ここには15分もいたようだが、撮影した写真はわずかに5枚。 撮影後、各員は最寄りのバス停から川崎駅へと帰投したのであった。 【了】 |
■ あとがき
魅惑の千鳥町に口を開ける、全長約1kmの魅惑(?)のトンネル、いかがでしたでしょうか。
十分にご堪能……いただくには写真がかなり不足していたと思います。いずれ再踏破の上写真を補填する必要を感じたところです。
日中に千鳥町側から歩いて東扇島で夜景を堪能してから帰りはバスで帰れば大丈夫。ダイジョーブ……
このトンネルが東扇島と歴史を同じくしていたというのは、当レポートを書くための机上調査で初めて知ったことでしたので勉強になりました。
川崎市が出してくださっている埋立の歴史データを知ることができたのも本人としては大きな収穫。
ご覧くださったみなさまにおかれましては、どうです、行ってみたくなりました? ならない? えー。
……という具合に、他にもこのトンネルのことを「独りでは行きたくない」「変化に乏しい」「無味乾燥」などさんざんに表現しましたが、
冒頭でご紹介した通り東扇島と他の地区を結ぶ唯一の一般道でもあり、意外とその功績は大きいのです。
歩いてみて、そしてレポートを書いてみてそのありがたみが実感できたと……思います……うん、きっと……。
さんざんこき下ろしましたが、わたしはこのトンネル結構好きです。
完
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最終更新:2015年5月31日