Dolphin Express' Report
国鉄鶴見線 石油支線 Part3
「浜安善に会いたくて」――その気持ちだけで出かけた石油支線のレポート、完全総括版。
2009年4月12日 調査、2015年5月30日 改稿
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まえがき
浜安善駅がなんとなく気にいってしまったらしい。
当サイトでは過去2回取り上げたことのある、鶴見線の廃線・石油支線とその廃駅・浜安善駅。今回のレポートは、過去の「石油支線 Part1」レポートを補完した「石油支線レポートの総括版」とも言える第3回目をお送りする。
2009年4月12日、この日は午後から鶴見線のあちこちを散策していた。武蔵白石駅の廃鉄道架道橋や浅野駅近辺の専用線の調査、海芝浦駅の再探訪が主な目的だったのだが、海芝浦駅からの帰り道、ふと思ったのである。
「浜安善に会いたい」。
これは恋だろうか。
冗談はともかく、あの剥げ落ちた空色の駅舎、自分以外の人間に出会わない場所で流れる空気。浜安善駅がまとう雰囲気は、いつの間にかわたしを魅了していたらしかった。
衝動に突き動かされるまま、安善駅での途中下車を決定。そうして始まったのが今回3度目となる実踏調査だったのであった。
石油支線の歴史や基本情報は「石油支線 Part1」レポートにて触れているので、ぜひご参考にお使いいただければと思う。
それではみなさま、今回もお付き合い、どうぞよろしくお願いいたします。
16:11 (安善通り踏切) JR鶴見線・安善駅で降車した私は、駅西寄りにある「安善通り踏切」から構内のヤードを眺めていた。安善駅ではこのようにタンク車が止まっている光景が頻繁に見られる。 この写真は、「Part1」ではお伝えしなかった「石油支線の起点」を撮影したものである。 石油支線起点付近(安善駅構内):横浜市鶴見区 安善町1丁目にて
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16:14 石油支線に合流すべく安善通り踏切を南下する。 さらに南下し、安善駅からカーブを描いてくる石油支線沿いに出た。 石油支線 専用線第1ゲート:横浜市鶴見区 安善町1丁目にて |
第1ゲートのすぐ南にあるのは「第2ゲート」だった。こちらは「Part1」では取り扱っていない。 石油支線 専用線第2ゲート:横浜市鶴見区 安善町1丁目にて
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16:16 (日石踏切) 少し歩くと、石油支線最初の踏切「日石踏切」が現れた。 日石踏切:横浜市鶴見区 安善町1丁目にて
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日石踏切すぐそばにある横浜市営バス「安善橋」バス停。 安善橋バス停:横浜市鶴見区 安善町1丁目にて
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16:18 (東亜建設踏切) 石油支線2つ目の踏切、「東亜建設踏切」。 東亜建設踏切:横浜市鶴見区 安善町1丁目にて
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この日初めて振り返った写真を撮影。写真奥は安善駅方面。 この位置が、かつて先述した「安善橋停留所」があった付近。 安善橋停留所跡?:横浜市鶴見区 安善町1丁目にて |
浜安善方向に向き直る。写真奥にわずかに写っているのが安善橋。 実は最初、この位置が安善橋停留所があった位置だと想定して写真を撮影していた。 横浜市鶴見区 安善町1丁目にて
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16:20 (安善橋) 鉄道橋としての「安善橋」を撮影。 安善橋:横浜市鶴見区 安善町1丁目側より撮影
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安善橋南詰。ご覧の通り、かつて明らかに線路がもう一本あった痕跡がある。 なお、この画像にカーソルを乗せると、2年前の同じ地点の写真が表示される。 ちなみに、これは当レポート執筆中に「Part1」を読み直して初めて気づいた。 安善橋南詰:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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安善橋南詰で安善駅方向に振り返る。 安善橋南詰:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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安善橋南詰から歩いてすぐの場所に、見覚えのない看板があった。 横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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風吹く中、フェンスの袂に一輪のポピーが咲いていた。 横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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あまり列車の来ない線路の袂で、猫も春を満喫。 横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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石油支線3つ目の踏切、「三栄レギュレーター専用踏切」。 この踏切にも見覚えがない。この奥の建物が新造されたのに伴って設置されたのだろう。 三栄レギュレーター専用踏切:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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三栄レギュレーター専用踏切上でまたもや安善方面に振り返る。 三栄レギュレーター専用踏切:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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踏切上で進行方向に向き直る。目の前に写っている4つ目の踏切、「ニヤクコーポーレーション踏切」との間隔はわずか10m程度だった。 三栄レギュレーター専用踏切:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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改めて、石油支線4つ目の踏切、「ニヤクコーポレーション踏切」。 ニヤクコーポレーション踏切:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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今度はニヤクコーポレーション踏切から浜安善のヤードを臨む。 浜安善駅:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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上の写真をさらに拡大してみた。 ちなみにここから分岐していた専用線は、一度安善方向に向かうものの、工場敷地内で大きく半円を描いてカーブし、180度切り返して結局浜安善駅方向に伸びていた。 カーブが大きいので、以降「大カーブ専用線」と呼称する。 なお、写真にカーソルを合わせると、上の写真のどの部分を拡大したのかを赤丸で表示する。 浜安善駅:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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より大きな地図で 国鉄鶴見線 石油支線 Part3 レポート付属地図 を表示 |
Google Mapには、「大カーブ専用線」の大カーブの跡らしきものが残っていた。 なお、地図をドラッグして下に移していただくと、大カーブ専用線の行き着く先が分かる。 |
安善町中央バス停。 エクソンモービル専用線跡:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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ヤードと公道とを仕切るフェンスの袂に廃レールが放置されていた。 レールにある「アセ」は、安善駅の電報略号である。 浜安善駅:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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これが現在唯一公道を横切る専用線、“米軍専用線”にして、ヤードから伸びる4つの専用線のうち、唯一現存する専用線でもある。
この踏切には以前から“日石カルテックス踏切”という名前がついており、「Part1」でもご紹介したかと思うが、今回調査したところ、新しく踏切名看板が取り付けられていた。 日石カルテックス踏切:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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安善町バス停。 背後に見えるのは、上の写真と同じ、米軍専用線である。 安善町バス停・日石カルテックス踏切:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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「日石カルテックス踏切」の遮断機ならぬ手動遮断ロープ。 ちなみに、奥には浜安善駅の駅舎が見えている。 日石カルテックス踏切:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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16:31 (浜安善駅) 浜安善駅舎全景。コンクリートで一段高くなっているところはホーム跡である。 【追記:2015/05/30】 浜安善駅:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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浜安善駅は、依然として剥げ落ちた色を纏っていた。 浜安善駅駅舎:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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駅舎の横から安善方面に構内を望む。 浜安善駅:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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駅舎の中はガランとしており、わずかに物が置いてある以外は何も無かった。 浜安善駅駅舎:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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さて、ここで話は一旦ヤードに戻る。 この写真にはJRと企業との境界標と転轍機がそれぞれ写っているので、この次の写真でそちらを解説しよう。 浜安善駅:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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線路上に置くタイプの境界標。 日本ガテックス専用線:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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転轍機には「1号」と書かれていた。 日本ガテックス専用線:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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駅としての役目を終え、その体を晴れの日も雨の日もそこに休めている、浜安善駅舎。
色の剥げ具合がやや痛々しいが、まだ彼は当分その姿を見せてくれるであろう。
傾き始めた夕日にほんのりと照らされる駅舎。
――いつか、また会おう!
おまけ。
人工島である安善町を日本ガテックス専用線跡沿いにさらに南下すると、島の南端まで来ることができる。 安善町南端:横浜市鶴見区 安善町2丁目にて
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■ 米軍専用線について
ここで、少し浜安善の米軍専用線に関するお話をさせていただきたい。
途中、浜安善のヤードから分岐した一本の専用線が、日石カルテックス踏切を渡って米軍施設に引き込まれていった写真を覚えていらっしゃるだろうか。
施設へ延びる線路のゆくえを確認したところ、その先に燃料関連の装置が装着された、米軍専用の1面2線プラットホームが存在するのが目視で確認できた。
これで、わたしがこの支線を調査するきっかけになった、「謎のプラットホーム」の謎が解明した。紛れもなく、「謎のプラットホーム」はこの米軍施設のプラットホームだったのだ。
※お忘れの方も多いだろうが、私がこの支線を調査しようと思ったのは、Google Mapの航空写真でこの地点に謎のホームを見つけたからである。
ホームにはタキ数両をつないだ小編成が4編成、2編成ずつ両線に入線していたので、目視できた車両だけ車番を確認してきた。
編成1 - 【←専用線終点側】タキ38036 38117 38124【安善駅側→】
編成2 - 【←専用線終点側】タキ38091 38035 38067【安善駅側→】
さらに専用線は、かつて鉄道門に入ってすぐの部分で2本の線路を分岐させていた。
現在は転轍機をはじめ分岐システムが全て撤去されていたものの、付近に専用線から切り離されて孤立した2本の線路があり、かつては分岐でひとつになっていたのであろうことをうかがわせた。
その孤立した2本の線路を追っていくと、施設が島の端に行き着き、線路もそれに伴って終了となる。
だがただ終点を迎えただけではなく、そこには、2両のハワムの廃車体が眠っていた。
車番は、安善駅側から ハワム268046・288181。どちらも郡山車。足回りが外されていたことから、倉庫として扱われているのであろう。
あとがき
今回のレポートは、Part1・2と続いてきた石油支線レポートの総括編のつもりでお送りいたしました。
今後もこの支線を訪ねる機会はあるかと思いますが、この支線に関してこのような大掛かりなレポートを執筆することはもう多くはないでしょう。
専用線上を行く貨物列車を撮影する機会が再びあったり、浜安善駅駅舎や専用線に大きな動向があった場合は、またこのようなレポートを書くとは思いますが。【追記:2015/05/30】 大きな動向、ありました……orz (この後最下部で説明)
私としては、この駅は横浜にいらした際は是非ともお立ち寄り頂きたい場所です。(鶴見線の運行間隔の長さがネックですが……)
わたしはあまり分からないのですが、浜安善駅の駅舎に掲げられている「東京南鉄道管理局」の表示はやはり珍しく価値があるそうです。
なお安善町島内は“火気厳禁”です。タバコを吸われる方はご注意を。
また、米軍施設にカメラを向けると施設内の人から声を掛けられることがあります。トラブル防止のため極力カメラは向けない方が無難です。Part1ではカメラを向けていました。ごめんなさい。弊サイトでは現地で起きたトラブルに関しては責任を負いかねますので、米軍施設の件は頭に入れておいていただければ幸いです。
さて、これで石油支線レポートの総括は無事終了! ……と思っていたのですが……
重大な事態が判明したので、お伝えさせていただきます。
浜安善駅、解体されました。
orz orz orz
Dolphin Express' Report
国鉄鶴見線 石油支線 Part4(予定)
浜安善駅駅舎亡きあとの石油支線の今はいかに。
2015年内 調査予定
「浜安善駅舎解体」の一報に触れたのは、何気なくネットサーフィン(死語)をしていた折だったと記憶している。
見れば「2009年に解体され現存しない」とあるではないか!
他サイト様の実踏レポートを拝読しても、確かに「駅舎はなかった」との記述が……
「色の剥げ具合がやや痛々しいが、まだ彼は当分その姿を見せてくれるであろう」(キリッ
「傾き始めた夕日にほんのりと照らされる駅舎。――いつか、また会おう!」(キリッ
……上記はいずれも当レポート内でのわたしの言葉だ。許してほしい。
えーだってだれも訪問直後に解体されるとは思わないでしょ……。ましてや浜安善駅の場合はもはや駅舎としての役目は終えていたわけだし、わざわざ費用をかけて撤去する必要もなかっただろうと思っていただけになおさら……。
この言葉だって、当時の思いを残しておきたいのであえてそのままにしているけれど、レポート公開当時はその通りだったのだ!
茶化しているが、本人は一報に接した際少なからずショックを受けた。
なにせ人生で初めて「会いに行きたい」と思った廃駅だったのだ。言うなれば見知った顔を奪われた思いだ。
浜安善駅亡きあとの石油支線に行っても仕方がないという思いがあり、私生活の忙しさも相まってそれ以降探訪することはなかったが、
約3年ぶりにウェブサイトを更新しこのレポートも書きなおすにあたり、やはりもう一度石油支線を再訪したいという思いが湧きあがってきた。
一度は浜安善に惚れたモンなら、その目で跡地を見届けてやるのが筋ってもんでしょう!
2015年内、4度目の石油支線探訪予定。乞うご期待。
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最終更新:2015年5月30日
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