白の大地に恋をして
〜 White Hawk and Snow Rabbit #2
兎と鷹は人間に姿を変え、十日町の駅前をゆく――
2010年6月6日 執筆完了・html化
はためきの音の中、眼下に見下ろす十日町の街並みの色合いがより鮮明になり、それに対してミントが歓喜の声をあげた。
降下しつつあったタカヒトは、早くも人間の世界にはしゃぎ始めたミントの幸せを共有しながら、より角度をつけて降下を始めた。
ミントのことを考えてスピードは抑え目になった飛翔ではあるが、それでも彼の翼はひゅうと風を切る。その音はミントの耳にも確かに聞こえ、その音色は恐ろしくもあったが同時に心地よくもあった。
彼女は前足で彼にしっかりとしがみつき、タカヒトの親切な速度に歌を歌いながら、久しぶりの陽光が照らす十日町の地へと舞い降りていく。
空には風が吹き抜けた。空で感じる風は、地上で感じるそれとは異なった感触がある。
陽光が照らし返す真っ白な街並みのすぐ上まで、彼らはもうやって来ていた。
「人間って凄いわ! こんなに文明的で高度な社会を作るんですもの!」
北越急行の高架線の直上に差しかかった頃、改めて眼下に広がる世界を見渡したミントがまた歓喜の声をあげた。
それにつられてタカヒトも少し下を見る。折しも、あのワインレッドの機影、683系の特急「はくたか」がその高架線を滑り、十日町駅に差しかかろうとしていたところであった。
ミントもタカヒトも更なる歓喜の声をあげたのは、言うまでもないだろう。
◇ ◇ ◇
越後の風に乗り、彼らは人気の少なそうな道路へと着陸しようとしていた。
流石に人間の街に鷹や兎はいないであろうから、下手に人間に見つかれば不自然に思われるだろう。人間に姿を変える以前の問題だ。
あそこがいいわ、とミントが前足を差しだして示した。
が、下を向くタカヒトにはその前足は見えておらず、あそこじゃ分からない、と呟きながら、彼はそれらしきところへ着陸を試みる。
俯瞰する風景から察するに、やはり安全なのは駅前から少し離れた場所だ。降下するにつれ、その俯瞰風景はますます接近し、鮮明になり、狭窄し、巨大化する。
彼は駅から外れた箇所に目ぼしい箇所を見つけると、その細い道路に降りるぞ、と言ってから、彼女の返事を待たずに降下をしてみせた。
ミントがかすかに背で震えるのを感じながら、タカヒトは雄雄しい両足をコンクリートを覆う雪に突き刺すようにして着陸する。
ざくり、と心地よい音を伴って、彼の足は確かに雪をとらえ、静止した。
「た、タカヒト、よく見たらここ、普通の地面じゃないところじゃない。足、大丈夫?」
「ああ、気にするな。それより、人がいないうちにさっさと人間の姿になったほうがよさそうだ。」
そうね、とミントが呟いたのを合図に、白銀の雪を照らし返すような眩い光がほとばしる。
同時に激しい風が巻き起こり、それは彼らの体毛や翼を大きく揺るがしていく。
その煌きが消え去った後には、既に人間よりも小さな動物の姿はなく、代わりに他の人間と何ら変わりのないふたりの人間が、その両足で地面をとらえて直立していた。
鋭い眼光に薄茶色の髪を持ち、すらりと背の高い少年。ふわふわとした髪、くりくりぱっちりとした目、そしてやたらにちんまりとした体の少女。
二匹は今「二人」になり、誰にも気付かれずに人間の街に降り立った。
どうやら今日も自身の正体が誰にも気付かれずに済んだことに、ミントはいつも通り胸を撫でおろす。
彼らは“彼らの長老”に人間の姿を借りて外の世界に出ることを許されている以上、その戒律を破ってしまうようなことがあってはならないのだ。
「今から俺は“白鳥鷹人”、そしてミントは“白雪眠兎”だ。いいな?」
「ええ、分かってるわ。“白鳥君”。」
鋭く、しかしながら優しさの籠もった眼差しで“白雪少女”を見つめながら、“白鳥青年”は「俺たちは今は人間だ」という戒めを、互いに言い聞かせるように口にした。
それに対して白雪少女はクスリと微笑みながら、頷いた。
「うーん、やっぱり二本足で立つのも悪くないわねぇ。こうやって前足……じゃなかった、両手を伸ばすのって気持ちいいわ。」
白雪少女は細く真っ白な素肌の両腕を空へと突き上げ、大きく伸びをした。
ミントは、兎の姿を取っている時には楽しめない人間ならではのこの行動がお気に入りのようだった。
上方へ、左右へ、とあらゆる方向への伸びを楽しんだ後、少女は眩い微笑みを少年に投げかけた。本当に、まるで子供のような笑みをしている。
「それにしても、ミント、小さいな。こんなにちびっこいと、ふたりで歩いたら身長差が大きすぎて変に思われないか?」
「うっ、うるさいわね。私だって好きでこんなに小さいわけじゃないわ! ――タカヒトが遠いよぅ。」
◇ ◇ ◇
「――人間の街って凄いのは確かだけれど、騒々し過ぎるわ! よく人間はこんな生活をしていて気がおかしくならないわね。」
「確かに、人間の世界には“静かなる音”のイメージが少ないな。いつでも機械の箱が道の上を動いているしなあ。」
ミントは耳を両手で押さえながら、早くも不平をこぼしていた。
さながら親子かなにかのような大きな身長差のある少年と少女は、駅前に繋がる大通りの街路樹の下を歩きながら、小声でやりとりした。
彼らにしてみれば、人間の世界の音というものは騒々しい。彼らの住処である森のそばには鉄道が通ってはいるが、それでも若干の距離はあり、これほどまで大きな音として聞こえてくることはない。
特に、人間の形ながら兎らしく敏感な耳を持ち合わせているミントには、これらの音は少々痛いくらいであった。
風がさわさわと髪を撫でていく。ミントの髪の優しい香りが辺りに満ちた。
その風に呼応して、緑の手のひらもさらさらと音を奏でる。その音につられてミントが上を向くと、陽光はやわらかな緑の葉っぱを照らしている。
「人間の世界にも、ちゃんと緑はあるのね。」と、木漏れ日に照らされながら少女は呟いた。
駅前に近付くにつれ、人間の音はどんどん大きくなっていった。駅前らしく、あの“機械の箱”の数も、三色の灯りを灯す信号機も増えてきた。
ミントは時折タカヒトに見えないように騒音に向けてしかめっ面をしながら、それでも漂う緑の香りには自らの住処を思い出して心を和ませていた。
「――タカヒト、駅だわ! ねぇ、早く早く、行きましょう!」
“十日町駅”という文字列の躍る建造物を目にするや否や、ミントはタカヒトを見上げて飛び跳ね始めた。
タカヒトも「駅だな」と答えると、子供のように飛び跳ねるミントの頭を押さえつけるようにして撫でてやりながら、その歩調を少し速めてやった。
が、ミントはそれでは不服らしい。本当に子供っぽく、タカヒトの手を引くと、ぱたぱたと脱兎のごとく駅という建造物の方に駆け抜けていく。
流石の少年もこれにはどうしようもなく、ただ兄のように、黙って腕を引かれていってやった。
わぁ、と、ミントは太陽も逃げ出すほどにまばゆい笑顔を浮かべて、十日町の駅舎を見つめている。
ぱあっ、と笑顔が咲いた顔を見て、タカヒトもその剣のような顔立ちに優しげな笑みを浮かべていた。
− つづく −
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